古い車輌の写真

高松琴平電鉄 Vol. 14 1030、11000

1032

RP123 Web#=221 掲載2008/9/9

写真1は1020形1032で名鉄時代はク2713、1973/5/1瓦町駅にて。元名古屋鉄道3700系だった1020形の内1031から1036までの6輌は転換クロスシートを装備していましたが、1975年に全てロングシートに改造されてしまいました。1985年に1029と1030、1986年に1031と1032がHL制御のまま台車とモーターを新造のカルダン駆動式に取り替えられました。そのためにこの2編成は非冷房車でしたが、1989年の廃車を免れ2004年まで活躍しました。写真1の1032は1020系の中で唯一の高窓運転台を持っていました。

1035

写真2は1020形1035名鉄時代はモ3710、写真3は1036名鉄時代はク2710、1973/5/1瓦町駅にて。非冷房車であったために1989年廃車となっています。

1036

名鉄のモ3700系の優しい常識的な顔つきは、当時の日本車輌の電車のデザインに大きな影響を与えました。地方の小さな電鉄はモ3700系と同じ様な手法で、主要機器と台枠を流用して車体を鋼体化する例が数多くありました。松本電鉄、新潟交通、岳南鉄道などが有名です。1020形のうちパンタグラフを備えた電動車は摺板の粉が張上屋根前端に落ちて写真2のように汚れがちなのが残念です。しかし制御車はそのような汚れも無く、ノーシル、ノーヘッダーのスマートで好ましい所謂「電車」!という容貌を持っていました。この後に続々と作られていったヘッドライトを2個装備した電車は、どうもサイト・オーナーには好きになれません。

11000形1130

写真4は色々な電車が在籍していた高松琴平電鉄の中でも極め付きの怪車、11000形1130の廃車体で、仏生山車庫の片隅で倉庫となっていました。
太平洋戦争の直後の混乱期に電車が不足していたので、もと国鉄の貨車ワフ25000形有蓋緩急車(戦争中の1939〜1942年製)を1947年購入し、仏生山工場(実態は琴平町の鉄工所の手で)で制御電車に改造されたという、とんでもない電車で1948年に竣工しました。極端に狭い(戦時型で人権無視の)一人用の車掌室(国鉄でもその狭さが問題となりました)に制御器を取り付けて運転台とし、屋根には一人前にヘッドライトを取り付けました。貨物室には窓を開け、貨物扉(すごく重い)には一回り小さな旅客乗降用の外吊式で片開の扉(写真4参照)を取りつけました。1段リンク式軸受と担いバネは改造されませんでした!一部は東讃電気軌道の四輪単車に使用していた単台車に交換されています。どちらにせよ、その極端に悪い乗り心地は特筆されるべきものがあったと思われます。1000形や3000形の前後に連結してTc+Mc+Tc編成として使用されましたが、さすがに旅客車として使われたのは1951年までの3年半ほどでした。11000形は1110、1120、1130、1140、1150、1160の6両が在籍していましたが、1953年までに全て廃車となり、車体は永らく倉庫などとして使われていました。

13000

写真5は無蓋貨車13000形1310、1973/5/1仏生山車庫にて。

この無蓋車も戦後の混乱期には11000形と同じ様な旅客車に改造しようと言う計画があったようです。

14回に渡って高松琴平電鉄を紹介して参りましたが、日本全国から中古の電車や部品を探していて改造し維持補修する技術陣の努力には素晴らしいものがあります。そごうグループの倒産による民事再生法の適用と言う不幸な事態もありましたが、地方でがんばる琴電に絶大なエールを送りたいものです。

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