古い車輌の写真

阪急今津線 1

仁川駅近くの築堤 1963年頃

RP124 Web#=222 掲載2008/9/11

私の地元、阪急電車の今津線です。今は西宮北口で今津北線と今津南線に分断されています。今津線沿線には工場というものがほとんど無くて、きれいな松林や清流の流れる川、瀟洒な住宅や大邸宅の間をノーブルな阪急マルーンの電車がのんびりと走る区間です。教育施設、特にミッション系の大学と、キリスト教の施設(教会や修道院、神学校)がやたらとたくさん在る地域です。

写真1は私が鉄を始めたごく初期にハーフサイズのカメラで撮影したもので、阪急今津線の仁川を出てすぐの所です。片運転台の500型+古い300型付随車+500型+両運転台の320型か380型が2両というのが標準的な編成でした。沿線はまだ住宅やマンションが今ほど過密ではなくて、写真のような松林がいたるところで見られました。道路右端の裸電球をつけた街灯がペーソスを誘いますね!

仁川駅近くの築堤 2007年

40年以上前に撮影したのと同じ地点に立って久しぶりに撮り鉄したのが写真2です。ペーソスを誘う裸電球の街灯は新しく建植されたコンクリートの電柱(道路右側に移されました)に取り付けられた水銀灯に代わっていました。風情のあった松林は無粋なでかい県営住宅になっていました。架線柱もすべてコンクリートポ−ルに取り替えられています。町並みは新しい家がたくさん建ってきれいにはなりましたが、同時に電柱と電線がやたらと多くなり空が狭くなりました。

仁川駅近くの切り通し 1963年頃

写真3は仁川駅と甲東園駅に中間にある切り通しです。斜面にはいつも緑濃い雑木や草が茂っておりました。そこをブリルMCBを履いた500形などが吊掛式のモーターを高く響かせながら時速60キロと言う高速度で下ってきていました。

仁川駅近くの切り通し 2008年

写真3と同じところを撮って見たのですが、陸橋に高い金網の柵(写真の左下)が出来たのと架線柱が増えたので、スッキリとした写真が撮れません。遠くに新しく出来たマンションや県営住宅が望めます。

仁川駅臨時プラットホーム

写真5は競馬開催日の16時から17時の間に限って使用される降車専用プラットホームです。上り線〔右側)しかないのは仁川で降車する乗客(仁川の地元民)が、大阪へ帰る乗客(博打で負けて気が立っている連中)に押されて降りられないからです。一旦このホームで乗客を降ろしてからドアを閉めて手前の仁川駅のホームへ進入し大阪へ帰る連中を乗せます。写真の左側は弁天池という市民の憩いの場です。写真5の中央は上りの臨時列車を収容しておく留置線です。

仁川駅臨時プラットホームから見た弁天池

写真6はその弁天池を臨時ホーム側から望んだところです。半島のように突き出しているのは池沿いの大きなお屋敷の広い日本庭園の一部です。椿の花の陰に見える池の上の建物は茶室です。夏の夕暮れに池の上の縁側で花火なんかは、さぞや気持ちがいい遊びでしょう。仁川は私のような庶民も多く住んでいますが、このような大邸宅も結構あります。

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