古い車輌の写真

阪急今津線 4 300形

318

RP127 Web#=225 掲載2008/9/15

写真1は300形318、1965/2/1西宮北口車庫にて。この318はもう廃車となったためかヘッドライトが取り外され、仮の台車を履いていました。

阪急の300形は阪急初の半鋼製車体を持つ電車で、阪神急行電鉄時代の1924年に汽車製造東京支店で、クモハである500形500〜509(1935年の改番後300〜309)の10輌が作られました。翌年の1925年には500形と連結して運行するためのクハである700形700〜709(後の改番後は310〜319)の10輌が川崎造船所(現在の川崎重工業)兵庫工場で作られました。

308

写真2は中間車(サハ)となってしまった308です。

車体はリベットだらけの角張ったもので木造車の設計を引きずっているのか床下にキングポストが設けられています。屋根の上にはお椀型のベンチレーターが取り付けられていました。木製の車内はニスで仕上げられており、シャンデリアのような装飾のついたデザインの灯具が採用されていました。

310

写真3もサハとなっていた310です。サハとなった300形の台車は1形が使っていたBrill 27E-1に取り替えられていました。

当初、300〜309の台車はブリル27-MCB-2、310〜319はボールドウインのイコライザー台車であるBW-78-25AA相当を履いていました。

316

写真4と5は最後まで両運転台のクモハとして甲陽線で活躍していた316と317の廃車体です。

製造直後は神戸線で活躍していましたが、700形は宝塚線における3両連結運転開始に伴い1926年に全車宝塚線に転属し、木造車である51形の中間車として使用されました。神戸線に残っていた500形(500〜509)も1935年に300形(300〜309)に改番され1940年までに宝塚線に転属となりました。

317

700形(704〜709)は1935年に300形(310〜315)へ改番され、同時に片運転台のクモハに改造されました。700形(700〜703)は1940年に300形(316〜319)へと改番され、同時に両運転台のクモハに改造されました。片運転台の310〜315は、中間に1形の付随車を組み込んで3輌編成となって今津線で使われていました。私が小学生低学年の時に電車の番号を始めて意識したのはこの3両連結の電車からです。1955年から木造車改造名義で610系が作られ始め、300形(302〜315)はサハ化されて500形の中間車となりました。両運転台で残った316〜319は甲陽線で運用されていました。いずれも1967年までには全て廃車となりました。301の車体の一部は宝塚ファミリーランドの電車館に保存されていましたが、現在では正雀工場に保管されています。

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