古い車輌の写真

日本鋼管川崎工場 1

日本鋼管 川崎工場

RF016 Web#=25 掲載2007/12/25

中学校から高校へ進学する時の春休みに小田原に住んでいる親戚の家に行って1週間ほどトレインハントをやりました。撮影は1963年3月下旬から4月にかけてです。日本鋼管の工場で産業用のCタンクが使われているとのことで国鉄の浜川崎機関区から工場構内を眺めながら撮影しました。製鉄所は当時でもことのほか撮影が厳しいところで、工場の方に近づくことはムリでした。写真1は浜川崎機関区から日本鋼管の工場を遠望したところです。小型の産業用蒸気機関車が真っ黒なケムリを上げていました。右側に見えるのは日本鋼管所属のB-Bロッド式35トンディーゼル機関車です。

125号蒸気機関車

写真2の小さなCタンク125号機がヘンテコな貨車を従えてやってきました。蒸気機関車そのものは味も素っ気もない近代産業型なのは残念ですが、貨車がオモシロイ!

熔銑貨車シキ200

まず写真3はシキ200型です。これは熔けた銑鉄を高炉から取り出して次の工程(製鋼工場、多分当時の技術だと平炉)へ運ぶための貨車です。最初は製鉄所の構内だけで運用されていたようですが、国鉄の線路を通過する必要が出たので国鉄の車籍を取得し私有貨車となりました。吉岡心平氏のサイトや著書によるとシキ200は途中で国鉄の車籍を失った時期があり、初代と2代目(一部が同じ車輌ではないようです)が存在していました。シキ200と言うべきものは台車と弓形梁の部分までで、熔銑が入っている容器(トリベ・取鍋)は積荷です。したがってコンテナに入った貨物を運ぶのだからコキになるのかな? 液体の貨物を運ぶのだからタキかもしれません。陽炎をユラユラとさせながら目の前をゆっくりと歩くぐらいの速度で去っていきました。シキ200型が使われていた当時はまだトーピードカーが導入される前でした。

焼結鉱専用貨車ホキ5300

写真4は次に連結されていたホッパー貨車ホキ5300型5315号です。ホッパーの上に微かに揺らめいている煙に注目してください。鉄鉱石を高炉(背の高い所謂溶鉱炉)に投入する前に、還元促進剤の役目を果たす石灰石と共に焼結炉で焼き固めて焼結鉱にして、溶鉱炉が目詰まりを起こさないようにしています。このホッパー貨車はできたてホヤホヤのまだ熱い焼結鉱を溶鉱炉の前まで運ぶためのものです。国鉄の線路(ごくごく短い区間でしたが)を走る必要があったので国鉄の車籍を取得した私有貨車でした。

この頃の日本鋼管川崎工場は規模がまだ小さくて、この程度の蒸気機関車や貨車で間に合っていたようです。この写真を撮った後で日本鋼管はここの沖に人口島を作り、自家用の海底トンネルと大型トレーラートラックで構内運搬を行うようになりました。親類の伯父さんが工場の建設を指揮していました。この伯父さんの力でも構内に入って写真を撮るのは不可能でした。構内ではボールドウイン、ポーター、ダベンポート、クラウスなどの珍品が活躍していて惜しいことをしました。

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