古い車輌の写真

近鉄養老線 1 かもしか号 1

元かもしか号 モ5824

RP133 Web#=240 掲載2008/11/14

写真1と2はモ5821形モ5824、1976/1/15近鉄養老線西大垣検車区にて。

三重県内の大きな町である四日市と津を結ぶために大正時代初期に伊勢鉄道が開業しました。やる気満々の経営者が登場して1926年に社名を伊勢電気鉄道と変更そして電化、次に近くの大都会である名古屋と伊勢を結ぶ計画を立てました。伊勢へは大阪電気軌道(大軌)の子会社参宮急行電鉄(参急)が大阪からの新線(現在の近鉄大阪線と山田線)を計画していました。伊勢電は参急開業と同時期に津(津新町)から伊勢(大神宮前駅)までの新線を開業しました。この伊勢電の区間は近鉄に合併されてから伊勢線となりましたが、重複路線ということで廃止されました。

この後伊勢電は名古屋方面への延長を計画し、養老電鉄(後に揖斐川電気と合併、現在の鉄養老鉄道)の持っていた免許を譲り受けて1929年に桑名までの区間を開業しました。桑名・大神宮前間82.9kmで高速運転を実施するために1930年に日本車輌で製造された電車がクハ471形3輌とモハニ231形12輌(そのうちの4輌が後のモ5820形、かもしか号)でした。

モ5823

写真3はモ5821形モ5823、1976/1/15近鉄養老線西大垣検車区にて。ヘッドライトはシールドビーム2灯が元の大きなヘッドライトケースの中に組み込まれていました。

伊勢電は積極的な投資が祟って破綻に瀕し、参急に吸収合併されました。その後、特急などはそのまま運行され、名古屋までの路線延長は参急系列の関西急行電鉄の手によって1938年に開業しました。1940年に関西急行電鉄が参急へ合併され、1941年に参急と大軌が合併して関西急行鉄道(関急)となると、改番が行われモハニ231形はモニ6231形、クハ471形はク6471形となりました。1944年には関西急行鉄道は南海鉄道と合併、近畿日本鉄道が発足しましたが、1947年に南海電鉄を分離しています。

元かもしか号4連

写真4はモ5821を先頭とする4連、1976/1/15近鉄養老線西大垣駅にて。

1958年と1959年にモニ6231形4両は付随車化されクニ5421形となり、養老線に転属しました。1960年養老線に転じていたクニ5421形5421〜5424の4両が狭軌線の南大阪線における特急「かもしか」号用として、優等列車仕様に改造され形式はモ5820形になりました。荷物室と片側の運転台撤去、客室扉移設と乗務員扉設置が行われ、内装はアルミデコラ、座席はオール転換クロスシート、そして塗装もこのときに特急色とされました。2両編成2本体制で運用されましたが、すぐに料金不要の快速列車へ格下げとなりました。

モ5821

1965年に大阪線並みに冷房完備の16000系電車が新造され、吉野特急が設定されました。この結果「かもしか」号は廃止となり、モ5821形は一般車に格下げされました。1970年に5821形は南大阪線から養老線へ転属しました。

写真5の窓から窺えるように、この時点(転属直後)ではまだクロスシートを装備していました。塗装も南大阪線で実施された特急塗装(ビスタカーと同じ配色、黄土色と紺色)のままでした。

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