古い車輌の写真

近鉄養老線 10 モ5801

モ5805

RP142 Web#=249 掲載2008/11/27

写真1と2はモ5801形モ5805、1971/1/15養老線の中間駅にて。

このページで活躍しているモ5800形電車は、もともと大阪鉄道が1923年の電化に備えて川崎造船で13輌製造したデイ1形と呼ばれる木造電車でした。車体のデザインは明治末期から関西の私鉄で多く採用された前面丸型5枚窓でシングルルーフ、窓枠上部に明り取りの櫛型窓が採用されていました。台車はアメリカのボールドウィン社製BW84-25Aというイコライザー式台車、機器は全て手堅い実績のあるものばかりでした。

大阪鉄道の電車として運用されましたが、昭和になってからデニ500形(後の近鉄モ6601型)などの大型電車が運用されるようになると主力車両ではなくなりました。大阪鉄道が1943年に関西急行鉄道に合併されると、形式はモ5601形となりました。1944年に関西急行鉄道は再編によって近鉄となりました。

写真3はモ5801形モ5805、1971/1/15西大垣検車区の庫内にて。

1955年にモ5601形10両は車体を鋼体化、3扉のモ5801形になりました。その時、5801〜5804の前面窓は湘南電車(国鉄クハ86系電車)の強い影響を受けて2枚窓となり、5805と5806は当時の奈良線特急用800系電車に似た流線型形状となった。

モ5806

写真4はモ5801形モ5806、1971/1/15西大垣検車区の庫内にて。

せっかくの湘南形も台車、台枠の他に、窓枠等も多く流用していたので、鋼体化されても背が低くて小さな窓が連なる側面は重苦しい印象を与えてスマートとはいえないものでした。

1970年ごろ南大阪線から養老線に転属となりましたが、老朽化と戦後に造られた20m車が運用されるようになって1979年までに廃車となりました。

前面は窓が一段引っ込んでいるので暗い感じがするためでしょうか、どうも短い車体と相俟って猪のイメージが張り付いているように感じるのは私だけでしょうか。でも当時の設計担当者は少ない予算(窓枠まで流用!)と厳しい制約(湘南電車よりはるかに小さい車輌限界)で一生懸命良い電車を設計しようと努力を重ねたのですから、あんまり揶揄するのもいかがかと・・・・・。

モ5808

写真6はモ5801形モ5808、1971/1/15養老線西大垣駅にて。

また5807〜5810は写真6で見られるように貫通タイプで登場しました。貫通幌が大きく見えるのは、車体断面がそれほど大きくないからでしょうか?

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