古い車輌の写真

近鉄養老線 12

モ5308

RP144 Web#=251 掲載2008/12/14

写真1はモ5300形モ5308、1976/3/21西大垣検車区にて。
この電車の前身は関西急行電鉄のモハ1形で1937年に10両が製造されました。1944年に近鉄が発足するとモ6301形に改称、1959年に名古屋線の改軌に伴い標準軌に改造されました。1970年と1973年に1067mm機関に再度改軌され養老線へ転属されました。1973年にモ5300型に改称されました。廃車は1983年までです。

クニ5421

写真2はクニ5421形クニ5421、1971/1/15西大垣検車区にて。
この電車の前身は伊勢電気鉄道が1930年に日本車輌製造本店で製造されたモハニ231形です。1936年に参急へ合併され、次いで1941年に参急と大軌が合併して関西急行鉄道となるとモハニ231形はモニ6231形となりました。1958年にはモーターや台車などを6441系に譲り、クニ5421形となりTR10形台車を履いて養老線に転属となりました。

サ5931

写真3はサ5931形サ5931、1971/1/15西大垣検車区にて。

これは元三重交通の電車だと思われますが、ネット上には何の資料も見つけることができませんでした。大手私鉄に吸収合併された車輌は待遇が悪くなるのですね。この電車も以前は真珠で有名な観光地を目指して、先頭車として活躍していたことと思います。

モニ6223

写真4はモニ6220形モニ6223、1971/1/15西大垣検車区にて。

これも伊勢電鉄の電車に共通の手荷物室を装備しています。

モニ6226

写真5はモニ6220形モニ6226、1976/3/21西大垣検車区にて。

モ6220形については資料を見つけることが出来ませんでした。

ク6509

写真6はク6501形ク6509、1971/1/15西大垣駅にて。

この電車の前身は大阪鉄道のサハ301形で14輌が1929年に川崎車輌兵庫工場でモハ201形6輌と共に製造されました。但し設計は合併前の吉野鉄道です。1938年に吉野線から伊勢電の延長線である名古屋線に転属しました。1941年にサハ301形はク6501形に改称、1959年には標準軌に改軌されました。1963年にク6509が狭軌化の上で養老線へ転用されました。


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