古い車輌の写真

島原鉄道 1

盲人重役のカバー

RP146 Web#=253 掲載2008/12/16

写真1は1974年に日本経済新聞社から出版された城山三郎氏の「盲人重役」という経済小説のカバーです。地方の弱小私鉄を過労のために盲目になりながらも傾いた経営を立て直していく姿を描いた小説です。

この小説にはモデルになった人がいました。島原鉄道の宮崎一彰常務取締役です。彼は小説の主人公と同じく、営業不振と災害に悩む島原鉄道をアイデアと献身で立て直して行きました。過労のために盲目となりましたが、もともとが詩人である氏は夫人の愛情に支えられて「島原の子守唄」を作り、考古学にも造詣が深く「まぼろしの邪馬台国」を上梓しました。

この小説には大きな地方資本による乗っ取り工作、重役の裏切り、中央大資本の地方進出、県知事の横暴など人間のいやな一面と、主人公のひたむきな献身とが対比され、経営者という人種に対する私の見方が少し変わったような気がします。

始発の諫早駅にてキハ2601

島原鉄道の起点は国鉄は長崎本線の諫早駅です。一番端にある島原鉄道の短いプラットホームで、キハ1輌だけと言うささやかな列車が乗客を待っていました。

キハ2601の窓から対向列車キハ5502

経営状況がよくないためか、線路の状態はあまり良くなかった記憶があります。途中の駅でキハ1輌だけの列車と交換しました。

島原港を行く列車

南島原駅にある検車区から見た漁港、ちょうど満潮だったので線路の近くまで水位が上がっていました。干潮になるとこの辺りは砂浜になって漁船がそのまま座り込んでしまいます。

この水位で小さなレイアウト・セクションを作りたいものです。

郵便物の逓送に活躍

当時の島原鉄道は貨物のほかに、郵便物や手小荷物も運んでいました。写真5のキハユ1703は郵便行嚢を積み込んでいます。プラットホ−ムには赤い軽四輪の郵便自動車が停まっているのに注目してください。

国鉄の郵便逓送事業が廃止になってからも、島原鉄道が郵便物の逓送を続けていたのは終点近くの道路事情が悪かったためと検車区の人達に教えてもらいました。

C1201蒸気機関車

小説の中で主人公が大変な努力をして手に入れたC12形蒸気機関車の内C1201号が長崎県島原市にある霊丘神社で静態保存されています。ヘッドライトのガラスが失われていますが、状態は普通でしょうか。

「盲人重役」という経済小説のカバーには、写真1でご覧のように東北本線で特急仕業に就いていたとおぼしき国鉄最大の蒸気機関車C62が描かれています。ここは主人公が苦心の末に手に入れたC12形蒸気機関車のイラストを入れるべきだったでしょう。

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