古い車輌の写真

近鉄 伊賀線 2 クニ5361形、モニ6201形

クニ5361

RP152 Web#=277 掲載2009/4/18

写真1はクニ5361形クニ5361、1972/1/13近鉄伊賀線上野市駅にて。

大正時代初期に開業した伊勢鉄道は1926年に社名を伊勢電気鉄道と変更して電化を行いました。モハニ231形は1930年に2回に分けて、日本車輌製造本店で12両が製造されました。17m級手小荷物室付半鋼製車体を持つ手荷物室を備えたローカル電車でした。

伊勢電は経営危機に見舞われ1936年に参急へ合併、伊勢線となりました。その後1940年に関急電が参急へ合併され、さらに1941年に参急と大軌が合併して関西急行鉄道となりました。そのときに車両番号の整理が行われてモハニ231形はモニ6231形となりました。戦後モニ6231形は手小荷物室付き乗務員扉なしの構造で運用しにくかったので、1958年にはモーター・台車など走行機器を6441系に提供して名古屋線の輸送力増強に充てられました。モーターと台車を外されたモニ6321形3両は、クニ5421形・クニ6240形となり、台車は中古品のTR10を装着して養老線に転属しました。1960年にはクニ6240形はさらに伊賀線へ転じ、クニ5361形となりましたが、老朽化の進行により1977年に廃車されました。

モニ6202

この電車は1926年に電化した伊勢電気鉄道が製造した17m級中型車で、当初はモハニ211形モハニ211と呼ばれていました。窓の上に櫛形の飾り窓を持った古典的な車体を持っていました。手荷物室が着いているローカル電車でしたが、優雅な飾り窓で鉄道ファンには喜ばれていたようです。残念ながら近鉄で施工された更新修繕の際に撤去されてしまいました。
伊勢電気鉄道が参宮急行電鉄に買収され、次に1941年に大阪電気軌道と合併して関西急行鉄道と成りました。そのときに番号が整理されてモハニ211形はモニ6202形モニ6202となりました。
1960年の名古屋線標準軌化に伴い、標準軌車輪へ交換されました。その後で養老線に転属する時、狭軌車輪に戻されました。更に伊賀線に転じて、モニ5201形と改番されましたが1977年に廃車となりました。

伊賀盆地の底冷えがする寒い日、上野市駅のプラットホームを挟んで発車間近のモニ5181とモニ5182です。冷たいみぞれが降っており低い暗い冬空でした。

左隣の貨物ホームに荷扱い中の有蓋車が停まっているのに注目してください。有蓋車の開いた扉からは中に積み込まれた貨物が見えます。

上野市駅のプラットホームで発車を待っているモニ5181です。左の貨物ホームに停まっているのは国鉄のワム50000形でしょうか。

木造の上屋の付いた狭いプラットホームがローカル私鉄の雰囲気を盛り上げています。

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