古い車輌の写真

大川鉄道 4号蒸気機関車

RM008 Web#=280 掲載2009/4/24

写真は大川鉄道4号蒸気機関車、1972/5/3北九州市小倉の到津遊園地にて。

福岡県北九州市小倉北区にあった西日本鉄道経営の到津遊園(イトウヅユウエン)に小型の蒸気機関車が保存されていました。到津遊園は1932年に西鉄の前身である九州電気軌道が創立25周年の記念事業として小倉市西端部の丘陵地に動物園と遊園地を併設した公園として開業しましたが、老朽化や北九州市の人口減少のために2000年に営業を終了しました。現在は北九州市都市整備公社が「到津の森公園」として運営しています。この蒸気機関車は1995年に到津遊園から現在の保存地である久留米市内の三潴小学校前にある大川線廃線跡を利用した遊歩道に移されました。到津遊園に保存されていた時代には番号の表記が失われていたようです。

この蒸気機関車は大川鉄道が開業に際して新調した同形機5輌の内の4号機で、1911年コッペル製です。機関車重量は7.8t、長さは4.7mで、ゲージこそ国鉄と同じ1067mmでしたが、実態は軽便鉄道用蒸気機関車でした。客車2輌と貨車2輌で速度は20km/h、バスが未発達の時代にしか生きられないような仕様でした。現在は5号の番号をつけられていますが、実際は4号機で、縁起を担いだ番号なのでしょうか。

現在は久留米市内の三潴小学校前(久留米市三潴町高三潴)にある大川線廃線跡を利用した遊歩道上に保存され、現況はこのサイトで紹介されています。

状態はまずまずですが、柵や上屋が無いのと一部分がピンク色に塗装されているのが残念です。

この蒸気機関車を新調した大川鉄道は興味深い歴史を持っています。
1909年 大川軌道設立
1911年 軽便鉄道法に基づく軽便鉄道となり大川鉄道に社名変更。
1912年 一部開業。
1919年 914mmゲージの三潴(ミズマ)鉄道から一部営業区間を譲り受ける。
1920年 大川鉄道は1920年までに、少しずつ営業区間を延長。
1933年 元三潴鉄道の営業区間を廃止。
1937年 大川鉄道が九州鉄道に吸収合併。大川鉄道の営業区間(上久留米〜津福〜大善寺〜大川)の内中間の部分(津福〜大善寺)だけが1435mmゲージに改軌電化され九州鉄道大牟田線の一部に組み込まれました。1067mmゲージの非電化区間として残った2つの区間(上久留米〜津福)は上久留米線、(大善寺〜大川)は大川線となりました。
1942年 九州電気軌道が九州鉄道を合併、社名が西日本鉄道となりました。
1948年 上久留米線営業休止、1951年に廃止。
1951年 大川線が建設省の筑後川の河川改修工事に際して営業休止、実質的には廃止。
1966年 西日本鉄道大川線が正式に廃止となる。

大川鉄道にはコッペル製の1〜6号機の他に、大日本軌道製の7号機や珍しいマッファイ製の9号機などが在籍していました。

バスとの競争に備えて1934年に日本車輌で作られたガソリンカーキハ101〜104が1944年糟屋線(後の国鉄香椎線)より転入しました。このガソリンカーは後に西日本鉄道で改造(クハ化)されて200形電車(右の写真)と共に運用されていました。つまりガソリンカーそっくりの軽量半流線形電車にホンモノのガソリンカーを改造したクハがくっついていたわけです。

また車種としては極めて珍しい1913年汽車製造製の蒸気動車キハ201、202が糟屋線より転入していました。

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