古い車輌の写真

阪神電鉄 国道線 1

31形 32

RP157 Web#=290 掲載2009/5/13

写真1は31形32、1973/6/10阪神電鉄国道線浜田車庫前停留所にて。

阪神国道電軌の開業時に用意された1形はモーターが2台だけで、長距離運転意は問題が多かったためにモーターを4台装備した31型が19290年から1930年意かけて田中車輌(後の近畿車輛)で31〜40、汽車製造41〜45、日本車両製造46〜50で合計20輌新造されました。阪神国道線では一般的なビューゲルではなくて、全在籍車輌にYゲルが使用されていました。

71形 73

写真2は阪神電鉄国道線用71形73、阪神電鉄国道線浜田車庫前停留所にて。

71形は1937年3月に汽車製造71〜75、川崎車輌で76〜80の計10両が製造されました。長さはおよそ15mもあり、路面電車としては大型でした。また幕板を屋根の近くまで狭くして車体の高さの半分近い極めて大きな窓を持っていました。その明るいデザインのために沿線住民から金魚鉢というニックネームを貰っていました。また平たいスマートなトルペード形ベンチレーターとドアに連動するホールディング・ステップを装備していました。戦前の路面電車の中では最も美しいデザインでは無いでしょうか。

71と74は後にパンタグラフを装備しフェンダーを取り外して、専用軌道の武庫川線と海岸線に使われていました。

201形 210

写真3は阪神電鉄国道線用201形210、阪神電鉄国道線浜田車庫前停留所にて。

1942年から1948年にかけて汽車製造東京で201〜215の15両が製造されました。基本的な装備品やデザインは71形に準ずるものですが。正面のデザインが戦時設計の影響を受けて、やや平たくなりました。

このように車の姿が見られないのは、当時ののんびりとしていた国道2号線の交通状況を物語っています。安全地帯が設置されていない危険な停留所は、戦争のときに国道2号線を航空機の滑走路として確保したかった軍隊の要請によるものです。

201形 215

写真4と5は阪神電鉄国道線用201形215、阪神電鉄甲子園線の停留所にて。

国道線が廃止になってから、この215は甲子園阪神パークに保存されていましたが、1991年のリニューアル前後に処分されたようです。

のんびりとした地方都市のような甲子園界隈ですが、現在もこのプラタナスの気持ちのよい並木は残っています。

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