古い車輌の写真

伊予鉄道 1 蒸気機関車

甲1形 1 のレプリカ

RP180 Web#=315 掲載2009/6/16

写真1〜3は甲1形1のレプリカ、伊予鉄道本社前にて。これから15回にわたって私の故郷松山で営業している伊予鉄道を取り上げましょう。

伊予鉄道の最初の路線は1888年に愛媛県松山市の外港である三津から松山までを結ぶために開業しました。その頃は日本に鉄道というモノが敷設され始めた頃で、国有鉄道(当時の鉄道局)路線から孤立した島に、孤立した規格である軽便鉄道(軌間が2フィート6インチ=762mm)を建設するには大変な苦労があったことでしょう。

伊予鉄道甲1形1〜4の蒸気機関車は松山〜三津間開業に備えて1888年1と2、1891年に増備の3と4の合計4輌が、ドイツのミュンヘン市にあったクラウス社(現クラウス=マッファイ社)ゼントリンク工場で製造されました。輸入代理店は刺賀商会(サスガショウカイ)で、この後に輸入されたクラウス製蒸気機関車を沢山手掛けています。

この蒸気機関車は夏目漱石の小説「坊ちゃん」の中の一節で紹介されたためにとても人気があり、伊予鉄道本社前(本機)と愛媛県総合科学博物館に実寸大のレプリカが展示され手います。そのほかに1977年には松山市の米山工業によって走行可能なレプリカも作られました。伊予鉄道松山市内線で観光用の呼び物として2001年にディーゼル駆動ながらで営業運転用のレプリカも2輌作られ、現在も営業業中です。

梅津寺遊園地に保存されていた甲1形 1

写真4〜6は甲1形1、1963年頃に伊予鉄道が経営する梅津寺パークにて。

伊予鉄道の各路線が順次日本標準の3フィート6インチゲージ(1067o)に改軌されるました、1号蒸気機関車も2フィート6インチゲージ(762o)から1930年に改軌されました。改軌後も永らく使われていましたが1931年高浜線電化、1950年郡中線電化と職場が狭まり、ついに1954年の横河原線と森松線のディーゼル化により蒸気機関車は全て廃車となりました。

梅津寺パークに保存するときは一応屋根つきで客車も1輌連結していましたが、誰でも容易に近づけるような展示だったので取り外しのできる部品はことごとく持ち去られ、塗装も痛んで写真のような哀れな状態になっていました。後に愛媛県総合科学博物館に展示してあった3号機の部品を使って修理が行われ、綺麗な状態で梅津寺公園で再度保存されています。この1号機は1967年に国鉄から鉄道記念物の指定を受けています。

クラウス社製の甲1形は1〜4の4輌が作られ、B型ボトム・タンク機で運転整備重量は7.8トン、長さ4.8m、40PSという可愛いものでした。1と2はまだ技術の無い国へ納入だったので完成品のロコが木箱に入った状態で届き、人力(クレーンが無かった)で陸揚げされたそうです。

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