古い車輌の写真

伊予鉄道 2 ディーゼル機関車

DB-1形 DB-1

RP181 Web#=316 掲載2009/6/17

写真1〜3はDB-1形DB-1、1967/3/27伊予鉄道古町車庫にて。

伊予鉄道の郡中線と高浜線は電化されましたが、利用者の少なかった森松線と横河原線は小型蒸気機関車が運用されていました。動力近代化を経済的に進めるために伊予鉄道は蒸気機関車の足回り部品を流用してディーゼル機関車を1953年に試作しました。メーカーは小型ディーゼル機関車を作っていた森製作所で、改造の元は甲2形6号蒸気機関車でした。

部品流用と言ってもホイールベースを延長しなければディーゼルエンジンを搭載できなかったために、ボトムタンクを持っていた主台枠は大幅な組替が必要で、動輪も輪心が取り替えられています。出来上がったDB-1は重量9tのB型で出力は85psでした。森製作所製ディーゼル機関車に良く見られる四角いデザインの車体を持っていました。就役してから試験とデータの収集が行われ、ディーゼル機関車による動力近代化が進められることになり、DB-2からDB-8までの7輌が三菱重工三原製作所に発注されました。

森制作所製のDB-1は試作機としての役割を果たしましたが、三菱重工製の量産機であるDB-2〜8とは全く異なる機関車でした。仕様を揃えるために1954年に三菱重工三原製作所で、エンジン載替(85psから120psへ)や車体の交換を含む大改造が行われました。外観は写真に見られるようにDB-2〜8に良く似たものになっています。1965年の森松線廃止でDB-1が余剰となったため廃車となりました。

DB-1形 DB-2

写真4はDB-1形DB-2、1967/3/27伊予鉄道松山市駅にて。

DB-1の経験を基にDB-2からDB-8までの7輌が1953年から1954年にかけて三菱重工三原製作所で作られました。DB-1は勾配でやや非力だったのか、増備車のエンジンは120psに変更されました。

写真5でご覧のように、松山市駅を出た横河原線の列車はゴロゴロと大きな音を立てながら終点の横河原に向かって出て行きました。

これらの可愛い列車を牽引していたDB-2〜8も、1967年横河原線全線電化で廃車となりました。DB-4〜8は解体されましたが、DB-2はDB-1と番号が改められて客車3両編成と共に梅津寺パークに保存されました。DB-3は東海道本線石山駅に在った繊維工場に譲渡され側線で入替機となりました。

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