古い車輌の写真

伊予鉄道 11 サハ510形、モハ600形

サハ510形 511

RP190 Web#=325 掲載2009/7/8

写真1はサハ510形511、1981年夏、伊予鉄道高浜線古町駅にて。

この511は元京王帝都電鉄のデハ1800形1802です。1952年に東急横浜製作所(現東急車輛)で戦災復旧車を改造する名目で新造されました。1974年に廃車となり電装解除してサハ511として伊予鉄道に譲渡されました。

写真2はモハ600形601、1967/3/27伊予鉄道高浜線古町駅にて。

伊予鉄道は1958年ナニワ工機(現アルナ車両)でモハ600形を1編成(601と602)を新造しました。張り上げ屋根、ノーシル・ノーヘッダーで19mの長い車体、中央の窓が大きな非貫通の正面デザインが、新しい世代の電車ということを強調していました。

モハ600形 602

写真3はモハ600形602、1967/3/27伊予鉄道高浜線古町駅にて。

当時ふるさとの北伊予にある伯父さんの家で見せてもらった社会科の教科書に、この伊予鉄モハ600形が自動加速の最新型電車として収録されていました。

モハ600形 603

写真4と5はモハ600形603、1981夏伊予鉄道松山市駅にて。

このモハ603は元長野電鉄のモハ1102です。この電車の起源はとても古く、1925年に信濃鉄道(現大糸線)が電化に際して新造した木造のデハユニ1形です。信濃鉄道は1937年に鉄道省に買収され、モハユニ21形モハユニ21001となりました。1953年に車両称号規定改正に伴いモハユニ3100形モハユニ3100に改番、1954年に電装解除されてクハユニ7100形クハユニ7100となりました。

1955年に廃車となり長野電鉄に払い下げられクハニ61(2代目)となりました。長野電鉄は同じような経歴を持つ木造車3台をまとめて鋼体化改造し3輌編成の1100系(モハ1101+モハ1102+クハ1151)としました。この時点で木造車の部品は主台枠ぐらいしか残っていないものと思われます。中間に挟まったモハ1102は両貫通となっていました。

1979年に長野駅付近の地下化に伴い廃車となり、両端のモハ1101とクハ1151は豊橋鉄道に、中間のモハ1102は伊予鉄に譲渡されました。

譲渡に際して運転台側は601によく似たデザインの非貫通型に改造され機器は新性能化されました。相棒のモハ602は中間車に改造されました。しかし新しく先頭になった603の側面のデザインは、601や602とまったく異なり木に竹を接いだような感がしました。


1995年に610系が入線すると廃車となりました。603は直ちに解体されてしまったのですが、601と中間車になった602は長く車庫で保管されていました。2008年601が松山市で行われた中四国ブロック緊急消防援助隊合同訓練で列車転覆事故の訓練に使用された後に解体されました。最後に残った602も2008年に解体処分されました。

写真6は豊橋鉄道渥美線へ譲渡されたモ1811(初代)+ク2811となった長野電鉄モハ1101+クハ1151、1984/1/21豊橋鉄道渥美線高師駅にて。これも1997年の渥美線1500V昇圧により廃車されました。

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