モハ10形 15
RP191 Web#=326 掲載2009/7/9写真1はモハ10形15、1963年夏、伊予鉄道城南線道後温泉駅留置線にて。 ふるさとの鉄道をファンとして眺めたのは、ハーフサイズカメラを買ってもらった1963年が初めてです。まだ資料や知識がまったくないので、これが珍しい古い小型車という認識しかありませんでした。木造四輪単車の15号車は、市内線の終点にある留置線でラッシュアワーも過ぎて昼寝をしていました。 伊予鉄の公式サイトによると、当初は切妻の独特の形をした車体を持っていましたが、後に改造されて写真1のような常識的な形になったそうです。
モハ50形 51
写真2と3はモハ50形51、1967年夏、伊予鉄古町駅にて。 51はモハ50形第一次グループ(51〜53)で1951年にナニワ工機で作られました。当初ポール集電、1953年ビューゲル化、1966年にZパンタに載せ変えられました。また扉の配置が当初の両端から1969年に前と中央に改造されました。 51は最初にエアコンを改造で搭載した電車で、大きな「冷房電車」の表示を誇らしげに掲げていました。
モハ50形の第一次車は屋根が厚く、その上背の高い冷房装置を屋根に積んだので、やや小さい窓と相俟って重量感のあるデザインになりました。モハ50形が増備されて、木造の四輪単車はすべて淘汰されてしまいました。
モハ50形 54
写真4はモハ50形54、1967年夏、伊予鉄古町駅にて。 54はモハ50形の第二次車(54〜55)として1953年にナニワ工機で作られました。集電装置は最初からビューゲルで、第一次車と同様に1966年にZパンタに載せ変えられました。また扉の配置が当初の両端から1969年に前と中央に改造されました。
モハ50形 60
写真4はモハ50形60、1967年夏、伊予鉄古町駅にて。 60はモハ50形の第四次車(59〜61)として1957年にナニワ工機で作られました。モハ50形はこの第三次車までが同じ重厚なデザインと古い工法が踏襲されましたが、前面の中央の窓が本線のモハ600の影響なのか少し大きくなっています。 54も60も1967年の夏には、まだエアコンを搭載していませんでした。たった2両しか在籍していなかったエアコン車とすれ違うときは、さぞや暑かったことでしょう。
古町車庫
路面電車
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