古い車輌の写真

伊予鉄道 14 モハ50後期形、2000形

モハ50形 74

RP193 Web#=328 掲載2009/7/11

写真1はモハ50形74、1981年夏、伊予鉄古町駅にて。

74は1965年に帝国車両で4両(74〜78)製造されたグループです。1964年に作られた70〜73のグループと同じ設計です。

モハ50形 78

写真2はモハ50形78、1981年夏、伊予鉄古町車庫にて。

78は1965年に帝国車両で4両(74〜78)製造されたグループです。これが伊予鉄道自社発注のモハ50形最後の電車となりました。

モハ50形 81

写真3はモハ50形81、1981年夏、伊予鉄古町駅にて。

この81は元南海電鉄和歌山軌道線の321形324号で、1971年に譲渡されたきたものです。1両だけが他車よりも車体が長くて車体幅が狭いために冷遇されていたようです。2000形が就役してからは予備車となり、ワンマン化改造はされましたが、直接制御で非冷房のまま1987年に廃車されました。和歌山時代には大きなヘッドライトを屋根の左右に2灯掲げていました。

南海電鉄和歌山軌道線の321形は321が和歌山市岡公園で、322が海南市室山公園で保存されています。

モハ2000形 2003

写真4と5はモハ2000形2003、1981年夏、伊予鉄古町駅にて。

モハ2000形は元京都市電の2000形2002〜2006で番号はそのままを受け継いでします。2001は京都市交通局の手で保存されています。

1963年から1964年にかけてナニワ工機(現アルナ車両)で作られました。

伊予鉄道に譲渡される際にヘッドライトの1灯化とゲージの変更(1435mmから1067mmへ台車枠はそのままで車軸を交換)が行われました。1982年に冷房化され、現在も全車在籍しています。

京都市電時代は大きな方向幕とその左右に取り付けられた2灯のヘッドライトが特徴でした。松山に来てから方向幕の小型化とヘッドライトが1灯になったために妻面が切妻のように感じられます。

京都市電2000形 2004

写真6は京都市電2000形2004、1970/5/1京都市電烏丸車庫にて。

伊予鉄道モハ2000形の前身京都市電2000形は1963〜1964年にナニワ工機で2001〜2006の6輌が作られました。当初は2両連結運転ができる間接制御を備えた優秀な車両でしたが、1971年に連結運転がなくなると複雑な機器が嫌われて早期に廃車となりました。2001は京都市交通局の手で保存されています。

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