古い車輌の写真

国鉄の古い客車 3

マロテ49 1

RJ094 Web#=332 掲載2009/7/16

写真1はマロテ49形マロテ49 1、国鉄横須賀線横須賀駅にて。

東京オリンピック(太平洋戦争のために中止となった)に備えて1939年に最後の新製展望車スイテ37040が作られました。1941年の称号規定改正によりスイテ49 1に改番され戦争中は田舎に疎開していたようですが、戦後派直ちに駐留米軍に接収され専用列車に使用されました。接収解除後、東海道本線特急「つばめ」と「はと」に使用されました。この時期にエアコンが装備されたために重量が増しマイテ49 1となり、塗装も青色となりました。1960年には1等がなくなりマロテ49 1と改称、特急列車の電車化により団体専用に格下げされました。

マイテ49 2

写真2はマイテ49形マイテ49 2、1966/7/10国鉄大阪環状線弁天町駅近くの交通科学博物館にて。

写真1のマイテ49 1と同じような経歴ですが、廃車後交通科学館でマイテ49 2に標記を復元し1等車の白帯を巻いて展示保存されていました。ところが1987年に車籍を復活させて、今でもJR西日本がイベント用に使用しています。

マロネロ38 2

写真3はマロネロ38形マロネロ38 2、国鉄横須賀線?にて。

マロネロ38形の前身は1936年から35両作られたネロ37600形で、1941年の車両称号改正によりマロネロ37形マロネロ37 1〜35となりました。このうち16両 は1944年からマハ47形に改造されました。残りは1953年の形式称号改正でマロネロ38形となり、地方の準急列車などに運用されましたがナロハネ10形の登場で廃車となりました。

スハフ50 1

写真4はスハフ50形スハフ50 1、1965/4/1国鉄福知山線川西池田駅にて。

この古風なダブルルーフの客車は、元は1929〜1930年に作られたスロフ31200形でスロ31000形とともに東海道本線東京〜沼津間専用で使われていた客車です。現在の湘南電車のサロに相当するものでしょうか。撮影した頃は福知山線の川西池田の側線にぽつんと留置されていました、超閑散線区の尼崎港線にでも使われていたのでしょうか?

オハ56 1

写真5はオハ56形オハ56 1、1965/4/1国鉄福知山線生瀬駅?にて。

これは元スハ32形のシングルルーフ車でしたが、マニ60形の履くTR-11台車とスハ32形のTR-23台車を交換して形式が変わり改番されたものです。マニ60形は重い荷物を積み込んで幹線を高速で走る運用についていたため、ローカル運用にまわされ速度が必要ではなくなったスハ32系の台車が狙われたのでしょう。

オハ56 4

写真6はオハ56形オハ56 4、国鉄東海道線大阪駅にて。

1964年から1968年にかけて各国鉄工場で合計27両が改造されましたが、21〜27は台車だけを提供して直ちに廃車となりました。改造後は関西地区のローカル線で使われていました。この写真6も福知山線の普通列車に組みこめれていたものです。

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