古い車輌の写真

国鉄の古い客車 5

オハ27 29

RJ096 Web#=331 掲載2009/7/18

写真1はオハ27形オハ27 29、国鉄横須賀線にて。

当初オロ41700形として作られ、1928年に車輌称号規定改正に伴いオロ30600形、1941年にオロ31形となりました。1961年に普通車に格下げでオハ27形となりました。どうも写真の初心者が逆光線の意味もわからずに撮ったもので、セレン光電池式の露出計の特性も無視していました。ハーフサイズのフィルムからトリミングしたもので画質は最低です。

江若鉄道 オハ2765

写真2は江若鉄道オハ2700形オハ2765、1969/10/27江若鉄道高島町駅にて。

写真1があまりに酷いので、後年江若鉄道で撮影したオハ27形を掲載しましょう。1964年に江若鉄道は国鉄からオハ27形3台の払い下げを受けています。番号は1964年を中心に前後の年号から採番されています。
国鉄オハ27 92→江若オハ2763、オハ27 110→オハ2764、オハ27 117→オハ2765。

スハ32 349

写真3はスハ32形スハ32 349、1976/3/1福岡市貝塚公園にて。

スハ32600形(スハ32形の第一次ロットでダブルルーフ)の次にシングルルーフのスハ32800形が作られました。車輌メーカーとともに国鉄の工場も製造に参加しました。その中で小倉工場では溶接構造の車体が試みられ、写真3のようにウインド・ヘッダーが無いスハ32が誕生しました。保存地が福岡市内なので九州にちなんだ小倉工場製が選ばれたのでしょう。

マロネフ59 1

写真4はマロネフ59形マロネフ59 1、1966/7/10国鉄大阪環状線弁天町駅近くの交通科学博物館にて。

1938年鷹取工場で皇族用としてマイロネフ37290形が3輌製造されました。その後の変遷は複雑です。
マイロネフ37290形マイロネフ37292→1941年スイロネフ38 3→スイロネ37 3→進駐軍の接収→1950年特別職用車スヤ48 1→1952年皇太子殿下用非公式御乗車用スイロネ37 3→1952年エアコン搭載による重量増加でマイロネフ38 1→1955年モノクラス制によりマロネフ59 1、そして1961年に廃車となり交通科学博物館で保存されて現在に至ります。

スシ28 301

写真5はスシ28形スシ28 301、1966/7/10国鉄大阪環状線弁天町駅近くの交通科学博物館にて。

1933年のスロシ38000形として竣工、1941年車輌称号規定改正に伴いスロシ38型、1944年戦時改造によりマハシ49 14、1953年にスハシ38 102となって大阪青森間の急行日本海で使用されていました。その後1961年に廃車となり交通科学博物館で食堂として使用するため高砂工場で全室食堂に改造して、新たにスシ28 301という番号が与えられて現在に至っております。

優等客車というものは新しい車輌が就役するとすぐに陳腐化し、格下げの後にローカル線に回されたりして複雑な履歴をたどるものです。しかも太平洋戦争をはさんだ歴史を持つ優等車輌は、進駐軍の接収を受けたり、接収解除があったりでますます複雑になっていました。

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