古い車輌の写真

別府鉄道 10 PC

無番号客車

RP204 Web#=350 掲載2009/8/9

写真1は形式称号、番号ともに標記のない客車です、1963年ごろ別府鉄道土山線土山駅にて。

別府鉄道開業時にハフ1と2の払い下げを受けた際に鉄道省から無料で譲渡されたと伝えられています。それ以上の製造年やメーカーなどは不明です。軸受けの担いバネのスパンが長いことからマッチ箱客車起源と思われます。中央に大きな引き戸が備えられていることから荷物車か郵便車かも知れません。

1960年前後にハフ5という車番を名乗っていたこともあったようですが、その後にまた無番号に戻されていました。1965年頃に廃車となったようです。

ハフ3の廃車体?

写真2と3はハフ1形ハフ3と思われる廃車体、1970/3/11別府港駅付近にて。

このハフ1形ハフ3は元国鉄の車掌車ヨ1形のヨ391を1951年に購入し、客車に改造したものです。ヨ1形は国鉄が古い四輪客車(いわゆるマッチ箱)を改造して車掌車にしたもので、結局また元の客車に戻ったわけです。全長8.0m、自重7.3t、定員40名で座席定員24名でした。

車掌車に改造されたときに窓が埋められたようで、暗い室内だったと思われます。元のマッチ箱の形を残したのか、片方だけがオープンデッキという変わった構造でした。

ハフ6

写真4と5はハフ1形ハフ6、1969/9/8別府鉄道別府港機関区にて。

ハフ5と6の前身は神中軌道が1930年に日本車輌製造東京支店で作ったガソリンカーのキハ10と11です。神中軌道は1933年に神中鉄道と社名を変更、1939年にエンジンを取り外して客車ハ10形10、11となりました。1943年に神中鉄道は相模鉄道に吸収合併されました。1949年に廃車となったものを譲り受けて、1950年に三岐鉄道ハフ10形14、15として竣功しました。

1959年に2両とも廃車になり別府鉄道へ譲渡されてハフ1形ハフ5、6となりました。1968年にハフ6は廃車解体となりましたが、ハフ5は1984年の廃線まで使用され現在はディーゼル機関車DC302とともに播磨町郷土資料館に保存されています。

長さが9.3m、重量8.0t、定員50名で座席定員は26名でした。

ハフ7

写真6はハフ1形ハフ7、1969/9/8別府鉄道別府口駅にて。

晩年の土山線で主力の旅客車輌として使われていたハフ7は、神中軌道が1926年に汽車製造(現川崎重工業)で作ったハ20形ハ24です。神中鉄道が相模鉄道に吸収合併された後の1949年に廃車となり、1950年に三岐鉄道が譲り受けてハフ10形ハフ16として竣功しました。譲渡時点では木造縦羽目板の車体でしたが、1954年に車体に鋼板を張り(いわゆるニセスチール)、一見半鋼製車体となりました。1959年に廃車になり、別府鉄道へ売却されハフ1形ハフ7となりました。1984年の廃線まで土山線で主力の旅客車輌として運用されていました。廃止後は相模鉄道に引き取られて同社のかしわ台工機所で木造縦羽目板の車体に復元され番号もハ24となって屋根の下で大切に保存されています。

長さが9.8m、重量9.0t、定員48名で座席定員は22名でした。

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