古い車輌の写真

豊橋鉄道 4 渥美線 2 1650、1800、1850、2300、2310

1651

RP210 Web#=356 掲載2009/8/16

写真1はモ1650形1651、1984/1/21豊橋鉄道渥美線高師車庫にて。

1931年静岡鉄道が日本車輌で2輌製造し、121形121、122として竣工。1943年旧西武鉄道に121が譲渡され、モハ120型121。すぐに電装解除されクハ1120形1121。1948年改番で、クハ1151形クハ1159。1952年改番で、クハ1231形1238。1954年改番で、クハ1231形1231。1956年再度電装され、モハ151形161(2代目)。1959年豊橋鉄道に譲渡され、モ1200型1202となりました。静岡鉄道の121は直接渥美電鉄(豊橋鉄道の前身)に譲渡されていましたので、120(豊橋鉄道モ1201)と122(豊橋鉄道モ1202)は約30年ぶりに再会しました。1968年の大改番で1201はモ1600形1601に、1202はモ1600形モ1602となり、次いでモ1650形1651となりました。1982年に1601と1651は50年振りにMM編成を組んで運用につきました。1988年にお別れ運転をして引退し、1992年に廃車となりました。

1801

写真2はモ1800形1801、1984/1/21豊橋鉄道渥美線高師車庫にて。

1929年愛知電機鉄道が日本車輌で5輌製造し、サハ2040形2043として竣工。1935年愛知電機鉄道と名岐鉄道が合併、ク2040形2044となりました。1947年度電装されモ3600形モ3608となりました。後に2回の改番がありモ3614、ついでモ3758となりました。1948年1500Vに昇圧。1967年豊橋鉄道に譲渡されモ1800型1801となりました。下回りは国鉄のクモハ14形の廃車発生品と取り替えられました。1981〜1982年に3扉化、前面非貫通化改造を受けました。1997年に渥美線の昇圧に伴い廃車となりました。

1852

写真3はク1850形1852、1984/1/21豊橋鉄道渥美線高師車庫にて。

1929年愛知電機鉄道が日本車輌で5輌製造し、サハ2040形2041として竣工。1935年愛知電機鉄道と名岐鉄道が合併、ク2040形2042となりました。1947年度電装されモ3600形モ3606、後に改番されモ3612、ついでモ3356と変わりました。1948年1500Vに昇圧。1965年電装解除されク2340形2345。
1967年豊橋鉄道に譲渡され、モ1850型1852となりました。写真のようにモ1800形とモ1850形の2連×2本で運用されていました。1981〜1982年に3扉化、前面非貫通化改造を受けました。1997年に渥美線の昇圧に伴い廃車となりました。

2301

写真4はモ2300形2301、1984/1/21豊橋鉄道渥美線高師車庫にて。

1938年西武鉄道が日本車輌東京支店で2輌の2軸ガソリンカーキハ20形を製造し写真4のク2301となった車はキハ21として竣工しました。1958年車体の延長工事とボギー車化を受けてクハ1121形クハ1122となり多摩湖線で運用されていました。

1959年に豊橋鉄道に譲渡され、ク1500型1505となりました。1963年に連結面貫通化工事、1965年にほかの車と同じようにヘッドライトがシールドビーム2灯となりました。1968年の改番でク2300形2301となりました。車体が13mの小型車であったためか1982年に廃車となっております。

2311

写真5はモ2310形2311、1984/1/21豊橋鉄道渥美線高師車庫にて。

この電車の前身は西武軌道(今の都電杉並線)で使われていた路面電車です。1925年に田中車輌(近畿車輛の前身)で作られたオープンデッキの木造車を西武鉄道が1951年に改造し多摩湖線のモハ51として就役させていました。1952年に鋼体化してモハ105、1954年に改番でモハ102(2代目)とパンタグラフ装備、1950年に片運転台化されました。

1962年に豊橋鉄道に譲渡されモ1300形1302となりました。譲渡のときに車体を延長して3扉となりました。1953年に貫通路設置、1966年にはヘッドライトがシールドビーム2灯となりました。1971年に制御車に改造されてク2311形2311となりました。廃車は1987年です。

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