古い車輌の写真

大宮交通公園

元日本冶金 C-160

RM009 Web#=362 掲載2009/8/29

写真1〜5はC-15形C-160、1975/6/21京都市立大宮交通公園にて。

嵐電の写真を撮ってから市バスの大宮交通公園前停留所近くにある京都市立大宮交通公園に行きました。ここは1969年に子供が楽しみながら交通知識や交通ルールを身に付けることが出来るように開設された公園です。

ここを訪れたのは開設から6年ほど経過したときで、雨ざらしの展示でしたがまだ車輌はほとんど傷んでいませんでした。写真のC-160蒸気機関車も塗装をやり直した後なのか、とてもきれいな状態でした。

現在はキャンバス製の大きな屋根がかけられており、一回り大きなヨ6720(細かい標記が失われていて、単に6720となっている)と連結した状態で保存されています。ただ子供たちが運転台に乗り込めるのは問題で、戦時型産業用蒸気機関車の数少ない保存例なので破損が心配です。

このロコが在籍していたのは京都府の丹後縮緬の里加悦(カヤ)と国鉄宮津線丹後山田駅の間5.7Kmを結んでいた加悦鉄道です。

酒呑童子伝説で名が知れた大江山の麓にある日本冶金のニッケル鉱山専用線で使われていました。1945年にニッケル鉱山が閉山となり、国鉄の丹後山田駅近くにあった日本冶金の専用線で働いていました。

このロコは1942年に富山県の小型車輌製造メーカーである本江機械製作所(1943年に社名を立山重工業に変更)で作られました。ここは460輌あまりの小型の産業用規格型蒸気機関車を作っています。ただ作られた時期が戦争中から戦後の良質の材料が無い時代で、代用材の使用とか極端な簡略工法の採用などで使用成績は悪かったようです。そのためか長く愛用された作品はありませんでした。

極めて短いホイールベースは急曲線に対処するものでしょう。コールバンカーもサイドタンクも背が高く、小さなキャブ窓からの見通しをあまり考慮していなかったように思われます。動輪直径が小さくてキャブの窓が小さいので、不安定な印象を感じるのはサイト・オーナーだけでしょうか? 重量は軽便鉄道用蒸気機関車並みの僅かに13.2tと、3フィート6インチゲージ(1067o)にしては小型です。

元京都市電北野線 N1

写真6はN電のN1、1975/6/21京都市立大宮交通公園にて。

ここには京都市電北野線で使われていたN電のN1号が京都市電のワンマンカー1860とともに保存されています。どちらも現在はキャンバスの屋根が架けられていますが、塗装の劣化が感じられます。現在の番号標記がなぜかNO6となっています。1918年から133輌が作られ、1955年に残っていた28輌がN1〜N28に改番、1961年に北野線廃止により廃車となりました。写真6はこのときにN1と改番された電車です。

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