古い車輌の写真

名古屋鉄道 2

2503

RP215 Web#=361 掲載2009/8/23

写真1はク2500形2503、1976/1/25名古屋鉄道名古屋本線岐阜駅にて。

1942年名鉄が日本車輌で3輌製造しク2500形2501〜2503として就役。同系車モ3500形3501〜3507が作られましたが、連結して使われることはあまりありませんでした。1981年に廃車。

2352

写真2はク2350形2352、1976/1/25名古屋鉄道名古屋本線岐阜駅にて。

1937年名鉄が日本車輌で当時流行っていた流線形車体を持つモ850形851、852とク2350型2351、2352の2編成4輌を製造しました。1948年本線全線が1500Vに昇圧するまでは600Vの旧名岐線(名古屋〜岐阜)に就役しました。1948年に1500Vに昇圧工事。1952年にモ800形807と808をはさんで3連で短期間運用されました。1965〜1969年にモ830形831と832をはさんで再度3連で運用されましたが、後に2連に戻されました。1974〜76年にかけてヘッドライトがシールドビーム化され戸袋窓がHゴムとなりました。1988年に廃車、1編成が保存されていましたが廃棄されたようです。

852

写真3はモ850形852、1976/1/25名古屋鉄道名古屋本線岐阜駅にて。

このモ850系は正面につけられていた装飾の線からの連想で「なまず」というニックネームで親しまれていました。日本車輌における普通の電車の設計で、正面だけを当時流行の流線形ガソリンカーに置き換えたもののようです。したがって同時期に名鉄に就役したもう一つの流線形電車3400系(ニックネームが「いもむし」)が最初から流線形を意識して設計されていたのに比べると、一段垢抜けないデザインなのは仕方が無いかも知れません。

2182

写真4はク2180形2182、1976/1/25名古屋鉄道岐阜検車区にて。

1943年にモ830形の制御車としてク2180形2181〜2182の2両が日本鉄道自動車工業(現在の東洋工機)で新造されました。太平洋戦争の最中で材料が入手困難なため、主台枠は古い電車の物を流用していました。そのためペアを組むモ830形よりも1.5m短い車体で竣工しています。1955年に正面貫通化改造、1966年に600Vに降圧してから揖斐線に転属。1973年に瀬戸線から転属してきた電車に押し出されて廃車となり、ク2182の廃車体は長らく岐阜工場に置かれていました。

185

写真5はモ180形185、1976/1/25名古屋鉄道岐阜検車区にて。

1930年に琴平急行電鉄の開業に際して、デ1形1〜3、5〜7の6輌が日本車輌で新造されました。琴平急行電鉄は太平洋戦争の激化で不要不急路線に指定され1944年意営業休止となりました。電車は名古屋鉄道に譲渡されモ180形181〜186となり、尾西線や竹鼻線といった600V区間で活躍しました。1953年に600Vのまま残されていた揖斐線と谷汲線に転属。1973年に瀬戸線からの転入車に押し出されて廃車となり、モ185の車体は岐阜工場に置かれていましたが後に解体されています。

752

写真6はモ750形752、1976/1/25名古屋鉄道岐阜工場にて。

1928〜29年に旧名古屋鉄道はデセホ750形751〜760の10輌を、デセホ700形10輌の増備として日本車輌で新造しました。1932年に旧名古屋鉄道は名岐鉄道と改称、1935年愛知電気鉄道との合併で名古屋鉄道と改称、デセホ750形はモ750形に改称されました。1948年の1500V昇圧に伴いモ750形は小牧線と広見線へ転属、モ752は1965年に小牧線の昇圧により揖斐線、谷汲線へ転属しました。モ752は1998年に廃車となっています。

サイト・オーナーは高校生にとっては遠い名古屋鉄道の写真をほとんど撮っていません。特に揖斐線や谷汲線で活躍していた木造車は惜しまれます。

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