古い車輌の写真

北恵那鉄道 2

81

RP217 Web#=364 掲載2009/8/31

写真1と2はク80形81、1976/6/5北恵那鉄道中津町駅にて。

1914年に開業した三河鉄道は1936年に日本車輌製造でガソリンカーキ50形キ51とキ52の2輌を新製しました。1941年に三河鉄道は名古屋鉄道に吸収合併され、キハ200形201、202と改番。太平洋戦争中はガソリンが使えなくなり代用燃料発生装置を搭載して使われましたが、戦後エンジンが降ろされ付随車となりました。1953年には片運転台の制御車に改造されク2290形2291と2292になりました。

1963年に北恵那鉄道に譲渡されク80形81と82になりました。後に81は写真2で見られるように貫通扉が連結面に設置されていますが、貫通幌が無いので運行中はとても危険で、果たして役に立ったのでしょうか。1978年に北恵那鉄道廃止に伴い廃車。

ク80形は出自がガソリンカーなので、ボギー車としては小型軽量でした。全長は11.3m、自重はわずかに13.9tで定員は62名でした。

551

写真3と4はク550形551、1976/6/5北恵那鉄道中津町駅にて。

愛知電気鉄道は1922年に日本車両製造で電5形電車を8両デハ1040〜1044と1046〜1048を製造。1935年に愛知電気鉄道と名岐鉄道が合併して名古屋鉄道となったときにモ1040形1040〜1048と改番。1948年電装解除されてク2040形2041〜2048となりました。1958年に5両が鋼体化されク2700となり、1輌は廃車、残りの2輌が2047と2045の車体を流用して簡易鋼体化(いわゆるニセスチール化)され瀬戸線に転属、ついで1965年揖斐線に転属しました。

1966年に2042が北恵那鉄道に譲渡されク550形551となり1978年の廃止まで活躍しました。

ク551が停められている留置線の右側の下り勾配の線路は付知方面に向かう本線です。

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