古い車輌の写真

秋田中央交通 1

3001

RP219 Web#=367 掲載2009/9/3

写真1〜3はデワ3000形3001、1966/8/6秋田中央交通八郎潟駅にて。

学生時代に所属していた鉄道研究会の夏合宿で東北地方を旅行した帰路、D51の牽くローカル列車から奥羽本線八郎潟駅に降り立ったのは気温が秋のように感じる夕方のことでした。目の前には秋田中央交通の五城目駅(ゴジョウノメ)行き普通列車が待っていました。木造四輪単車の貨物電車デワ3001に、元国鉄キハ41000からエンジンを下ろした客車ナハフ10とナハフ20が連結されていました。もう夕方で写真にはかなり辛いものがあり、f2.8やf2開放で撮影を強行したため焦点深度が稼げずピンボケとなりました。

1922年から1926年にかけて目黒蒲田電鉄と東京横浜電鉄は木造4輪単車の有蓋貨物電車を3輌無蓋貨物電車を5輌注し、デワ1形1〜2(後にモワ1形1〜2)とデト1形1〜5(後にモト1形1〜5)として就役していました。1932年に無蓋貨物電車モト4が有蓋車モワ3に改造されています。1942年の大東急成立によりモワ1〜3はデワ3000形3001〜3003、モト1〜3、5はデト3010形3011〜3015と改番されました。

1953年にデト3013が有蓋車にデワ3002(2代)に改造されたうえで、秋田中央交通に譲渡されデワ3001となりました。デワ3001と3003は濃い青色に塗装されていました。

デワは全長7m、台車はブリル21E、自重10t、主電動機出力が48kW×2の直接制御で、貨車も牽引可能でした。このデワが入る前に秋田中央交通で使われていたED401は、元国鉄のアプト式電気機関車ED40 4を南海電鉄が改造した44tもある巨体の電気機関車でした。結局重過ぎて持て余され5年ほどで廃車になり、この小型電動貨車が永く電気機関車の役目を果たすことになりました。

3002

写真4はデワ3000形3002、1966/8/6秋田中央交通五城目車庫にて。

1951年にデワ3002(初代)が秋田中央交通に譲渡され、そのままの番号で就役しました。デワ3002だけが薄い青色に塗装されていました。

3003

写真5はデワ3000形3003、1966/8/6秋田中央交通五城目車庫にて。

1952年にデワ3003が長岡鉄道に譲渡されデハ101として就役しましたが、後に秋田中央交通に移籍し、元の番号デワ3003に戻されました。デワ3001〜3003の計3両が電気機関車代用としてキハ41000形からエンジンを下ろした客車を引いて使用されました。

EB-111

写真5はEB-110形EB-111、1966/8/6秋田中央交通五城目車庫にて。

1952年長岡鉄道が日本鉄道自動車で重量18t出力112Kwの小型電気機関車EB-111を製造しました。一見するとB-Bの軸配置でしたが、片軸駆動のためEBと名づけられました。1960年に合併で越後交通が発足し、長岡鉄道は越後交通長岡線となりました。秋田中央交通には1967年に譲渡されてきたものの、1969年の鉄道廃止とともに廃車となりました。その後、五城目町の小学校に客車とともに保存されていましたが、2002年に解体されました。

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