古い車輌の写真

西日本鉄道 2 北九州線 2

501

RP222 Web#=372 掲載2009/9/11

写真1は500形501、1972/5/3西日本鉄道北九州線にて。

1948年に10両(501〜510)、1949年に2両(511と512)が汽車会社で作られました。運輸省規格型で、大阪市電(1711、1751形)や横浜市電(1300形)にも同系の電車が在籍していました。福岡市内線の500形と番号が重複していますが、両車は機器も車体も全く別です。1953年に車体前部の幅を縮小する改造を受けています。福岡市内線からの転入車に押し出されて1976〜1977年にすべて廃車となり、501、502と504が広島電鉄2代目600形601〜603となりました。

612

写真2は600形612、1972/5/3西日本鉄道北九州線にて。

1950年〜1953年に木造ボギー車を置き換えるために近畿車輛、川崎車輌、新潟鉄工所で601〜650の50両が製造されました。1955年に西鉄軌道船独特のパンタグラフに交換、1970年にワンマン化改造、1981年から車体更新、1986年から冷房化改造を受けています。その後2000年の北九州線廃止まで活躍しました。

1034

写真3は1000形1034、1972/5/3西日本鉄道北九州線にて。

北九州線の1000形は1953〜1967年の14年間にわたって製造が続けられ、3車体の7編成を含めて64編成が作られました。このように大量に連接車を増備したのは八幡にある製鉄所などの大きな工場の通勤輸送に対処するためです。

福岡市内線の1001形とは番号が重複していたのですが、問題は無かったのでしょうか?

1040

写真4は1000形1040、1972/5/3西日本鉄道北九州線にて。3車体連接車を撮りたかったのですが、ラッシュアワー専門なので車庫で寝ていたようです。

北九州線の連接車は2車体の編成だけが子会社の筑豊電気鉄道に譲渡されました。そこでは別の1000形の車体を改造して中間に挟み3車体の連接車として運用していました。北九州線の中間車体にはドアが設けられていませんでしたが、筑豊電鉄の中間車体は一回り大きくて改造種車のドアが付いていました。
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