古い車輌の写真

西日本鉄道 3 北方線 1

西日本鉄道 北方線

RP223 Web#=373 掲載2009/9/12
修正1 2010/11/19

写真1は322形323、1972/5/3西日本鉄道北方線北方車庫前停留所付近にて。

西日本鉄道の北方(キタガタ)線は北九州線の一部で、元は1906年に開通した小倉軌道という馬車鉄道でした。1920年に小倉電気軌道の手で電化され、1932年に魚町から北方までの全線が開通しました。1942年、九州電気軌道に買収され、同年に陸上交通事業調整法により九州電気軌道、福博電車・九州鉄道・博多湾鉄道汽船・筑前参宮鉄道が合併して西日本鉄道が発足しました。路線のモノレール化の計画等で1980年に廃止となりました。北方線はほかの西鉄の路面電車とは異なり3フィート6インチゲージ(1067o)を採用していました。この社を撮影した頃はまだまだ車が少なく、路線廃止なんか考えられない状況でした。

322

写真2は321形322、1972/5/3西日本鉄道北方線北方車庫にて。

日本鉄道自動車(現在の東洋工機)で1948年に321形321と322の2輌が作られました。北方線では初めてのボギー車です。当初はヘッドライトが屋根に取り付けられていたのですが、1956年に更新修繕を受けて運転台の下に移設されています。

山陽電気軌道503

写真3は山陽電気軌道503、1970/8/13山陽電気軌道東車庫にて。

山陽電気軌道は1930年に500系8輌増備の認可を受けていたのですが、戦時中の資材入手難でなかなか実現できず1947年、1949年と1950年に各2輌ずつ合計6輌が就役しました。ところが日本鉄道自動車(現在の東洋工機)に発注していた内の2輌は注文取消しとなり、西日本鉄道北方線に320形321と322となって1948年に就役し、北方線が1980年に廃止になるまでずっと活躍していました。

323

写真4と5は323形323、1972/5/3西日本鉄道北方線北方車庫前停留所にて。

1956年に東洋車輌で323形323と324の2両が製造された。形式は321形322に続けて323形323、324となりました。

車体はバスの工法を採り入れて設計されていました。また狭い北方線の車輌限界に適合するために車体の前部が絞られており、車体の上半分が内側に傾斜していて極めて印象的な外観を持っていました。

北方線が1980年に廃止になると323は到津遊園地に保存されましたが、後に解体されています。324は土佐電気鉄道に譲渡され、2代目300形の301となりました。カラオケ装置を積み込んで貸切専用車となって活躍していましたが、2007年に廃車となりました。その後福岡県筑紫野市内で621とともに保存されているようです。
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