RP225 Web#=375 掲載2009/9/15写真1は500形538、1970/8/15西日本鉄道福岡市内線。 関西財界の資金で設立された福博電気軌道は1910年に開業、1911年博多電燈と合併し博多電燈軌道に社名変更、1912年に九州電気と合併して九州電燈鉄道になりました。一方地元資本で始まった博多電気軌道も1910年に開業、1912年に九州水力電気へ吸収合併されました。
写真2は561形563、1970/8/15西日本鉄道福岡市内線室見橋停留所にて。 福岡の町には東邦電力系の福博電気軌道と九州水力電気系の博多電燈軌道がライバルとしてしのぎを削っていましたが、1934年両社が合併して福博電車となりました。1942年に陸上交通事業調整法により九州北部の私鉄が大合併をして西日本鉄道が発足、福博電車は西日本鉄道の福岡市内線となりました。1979年に自動車に追われるように廃止となってしまいました。
西日本鉄道 貝塚線 貝塚駅
写真3は1976/3/27西日本鉄道貝塚線貝塚駅にて。 西鉄宮地岳線の前身博多湾鉄道汽船は福岡市都心部の新博多から貝塚を経由して津屋崎までが3フィート6インチゲージ(1067o)の地方鉄道でした。西日本鉄道は福岡市街区間(新博多〜貝塚)を福岡市内線と直通するために4フィート8 1/2インチゲージ(1435o)に改軌しました。その結果その区間は1979年の福岡市内線の廃止の時に一緒に廃止となってしまいました。 貝塚には宮地岳線と共通の車庫があり、地方鉄道の宮地岳線(写真の奥)との乗り換えホームが設置されていました。
510
写真4は500形510、1976/3/27西日本鉄道貝塚線貝塚車庫にて。 古くなった木造4輪単車を置き換えるために1944年〜1948年に30両、501〜520の20輌は日本車輌、551〜560の10輌は汽車会社で製造されました。
514
写真5は500形514、1976/3/27西日本鉄道貝塚線貝塚車庫にて。 1960年から近代化改造、ついで1970年までにワンマンカー化改造が行われました。
558
写真5は500形558、1976/3/27西日本鉄道貝塚線貝塚車庫にて。 1979年の福岡市内線の廃止とともに他社に譲渡されること無く全て廃車となりました。福岡市内の皿山公園に507、壱岐の島にある松永記念館に516が保存されています。 路面電車
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