古い車輌の写真

西日本鉄道 10 大牟田線 2 20、120、200

29

RP230 Web#=380 掲載2009/9/21

写真1はモ20形29、1971/5/3西鉄大牟田線二日市駅にて。

木造のモ1形とク50形を淘汰するために1958〜1960年に川崎車輌で3両編成が6本作られました。モ1形とク50形の台車と電装品を流用し、車体と台枠は新造です。モ29は29+30+56の3輌連結で、モは原番号+20、クはそのままでした。

宮地岳線 129

写真2右側はモ120形129、西鉄宮地岳線貝塚駅にて。写真1の29が宮地岳線に移ってからです。

大牟田線のモ20系は5000系の増備に伴い、1978〜1980年に宮地岳線へ転属となりました。その際に1編成(121+131+151)以外は中間車を廃車にして、2輌編成となっています。

104

写真3は100形モ104、1973/8/4西鉄大牟田線二日市工場にて。

1941年に九州鉄道が木南車輌でモ100形101〜108とク150形151〜159の17両を製造しました。当初は2輌編成でしたが、後に3輌固定編成となり不要な運転台の撤去などが行われました。宮地岳線に転出した車輌以外は5000形の導入に伴って1975〜1984年の間に廃車となりました。

205

写真4はモ200形205、1973/8/4西鉄大牟田線二日市工場にて。

九州鉄道が1937年にモ20形21〜30の10輌を大牟田延長に備えて、汽車製造東京支店で製造しました。1940年にモ200形201〜210に改番されています。1941年に211〜216とク250形251〜260が増備されました。当時流行だった前面丸妻5枚窓で長さが13.6mの軽量小型車です。

256

写真5はサ250形256、1973/8/4西鉄大牟田線二日市工場にて。

ク250形は1941年に10輌が製造されましたが、後に4輌が電装されてモ200形に加わり、残りは運転台を撤去し貫通路が設けられて3輌固定編成の中間車となりました。

1969年からは重量制限のあった甘木線専用として長く使われていましたが、線路が改良され600形が使われるようになって1993年までに廃車となりました。

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