古い車輌の写真

西日本鉄道 20 宮地岳線 6 モ10形、モ20形

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RP240 Web#=390 掲載2009/10/1

写真1はモ10形16、1971/1/3西鉄宮地岳線貝塚車庫にて。

1935年に大阪電気軌道のデボ200形209が鋼体化された時に、残された木造旧車体の譲渡を受けて博多湾鉄道の手で客車コハフ2として竣工しました。後に電装されデハ14となり、西鉄への合併でモ16となりました。1961年に鋼体化されましたが1978年に廃車となりました。

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写真2はモ10形17、1971/5/2西鉄宮地岳線貝塚車庫にて。

モ17も上記のモ16と同じ経歴をたどっています。
大阪電気軌道デボ204→博多湾鉄道の手でコハフ3→デハ15→西鉄モ17→廃車もモ16と同じ1978年です。

前のページもモ15と比べると、このモ16やモ17は屋根の厚さが薄くなり、ヘッドライトの位置が少し前の方に取り付けられるようになって、前面が軽快で好ましいデザインに仕上がっていると思います。

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写真3はモ10形18、1971/5/2西鉄宮地岳線貝塚車庫にて。

西鉄の前身九州鉄道が大牟田線用として1941年に木南車輌でモ100形101〜108とク150形151〜159の17両を製造しました。車体は張り上げ屋根で前面貫通扉付き、長さ15.6mで両端に扉が寄せられ扉間には当時としては大きな窓が設けられていました。1951年から編成の組替が行われた際にク159の1輌だけが1067oゲージの台車に履き替え、電装の上モ18として宮地岳線に転出しました。1977年に大牟田線から転入してきた313形に押し出されて廃車となりました。

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写真4はモ20形22、1971/5/2西鉄宮地岳線貝塚車庫にて。

西鉄の前身にあたる九州鉄道が大牟田線用として、1936年に日本車輌製造でモ1形の増備としてモ17〜20の4両を製造しました。1形と異なり車体は半鋼製となりましたが、大きさはほぼ同じ15mで3扉ロングシートでした。1945年の改番で別の形式が与えられモ10型モ11〜14となりました。3両編成で運行するために1951年に2輌(11と13)が片運転台に、2輌(12と14)が中間電動車に改造され貫通路が整備されました。大牟田線に600型が就役すると13と14は1962年、11と12は1967年に宮地岳線に転属しました。

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写真5はモ20形24、1971/5/2西鉄宮地岳線貝塚車庫にて。

宮地岳線転属に際しては1067oゲージ用台車に交換、両運転台に復元、中間扉を埋めて2扉化(埋めた跡が残っています)されました。番号はモ13→モ21、モ14→モ22、モ11→モ23、モ12→モ24と改番されました。宮地岳線では300形や313形の転入にともない21と22は1978年に、23と24は1980年に廃車となりました。

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