古い車輌の写真

西日本鉄道 25 宮地岳線 11 モ310+ク360、ED202

310

RP245 Web#=395 掲載2009/10/6

写真1はモ310形310、西鉄宮地岳線貝塚駅にて。

宮地岳線のモ310+ク360の前身は大牟田線のモ20形シリーズの後期車で、宮地岳線10の記事にあるモ120形と同じような経歴です。1960年に大牟田線用として川崎車輌でク51〜ク53の台車や機器を利用して、モ31(ク51を電装)+モ32(ク52を電装)+ク59(ク53の改造)の3輌編成が作られました。

360

写真2はク360形360、西鉄宮地岳線貝塚駅にて。

1978年に宮地岳線へモ20系の転属第一陣として狭軌化されました。先に宮地岳線へ来ていた300系の連続番号モ310(元モ31)+ク360(元ク59)と改番され、中間電動車のモ32は廃車となりました。この編成の後で宮地岳線に転属した20系は、大牟田線の原番号+100に改番されていました。この310+360も1984年に他の120形に含まれるように再度改番され、モ123+ク153になりました。

202

写真3〜5はED200形202、1976/3/27西鉄宮地岳線貝塚車庫にて。

西鉄が宮地岳線の蒸気機関車を電化するために1950年東京芝浦電機で201と202の2輌を製造しました。自重45tのB-B凸形電気機関車でプレートフレームの台車を履き出力は1550KW、全長は約11m、たくさん作られた東芝戦時形の一員です。

これと同じ形の電気機関車は奥多摩電気鉄道(後の国鉄青梅線の一部)、西武鉄道(後に駿豆鉄道、遠州鉄道、越後交通、伊豆箱根鉄道に譲渡)、東武鉄道、京成電鉄、名鉄、富山地方鉄道、南海電鉄、三井三池炭坑専用線に在籍していました。

202は1959年に宮地岳線の貨物輸送がなくなった後も社内事業用として残されていましたが、1978年に廃車されています。

この写真を撮ったときは動力のない修繕中の電車の入換作業とか、保線用砕石の運搬作業などしか仕事が無いようでした。

三井三池港務所 22

写真6は三井三池港務所の22号機、1979/8/5三井三池港務所専用鉄道にて。

201は1958年に三井三池港務所専用鉄道に譲渡され22となりましたが、1997年の三井三池炭鉱閉山に伴う専用鉄道の廃止で廃車となりました。

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