古い車輌の写真

西日本鉄道 26 宮地岳線 12 車庫の裏手

保線用のト?

RP246 Web#=396 掲載2009/10/7

写真1は保線用?の無蓋車、1971/1/3西鉄宮地岳線貝塚車庫にて。

留置線の端っこに古い無蓋車が待機していました。保線機材でも積んでいたのでしょうか、シートで厳重に覆われていたので標記を読むことはできませんでした。松葉形スポーク、シュー式の懸架装置、端梁に残されたバッファーの穴など古典貨車の要素は完備。今でも保線用に残されているのならば、製造後100年以上経過しているのではないでしょうか。

ク58と思われる廃車体

写真2はク58と思われる廃車体、西鉄宮地岳線貝塚車庫にて。

車庫の裏手に灰色に塗られた電車の車体が置かれていました。貝塚車庫に残された廃車体の中では一番新しい物です。

小型ガソリンカーの廃車体

小型ガソリンカーの廃車体、1971/5/2西鉄宮地岳線貝塚車庫にて。

車体洗浄線の横に、小さなガソリンカーの廃車体が置かれていました。残念ながら車体の標記を読み取ることができませんでした。妻面は両端とも残されていましたので、元は2軸のレールカーだと思われます。

小型ガソリンカーの廃車体、1971/1/3撮影。

この車体の現役当時は何だったのでしょうか。博多湾鉄道汽船のキハ101〜104は大川線に転属、後に大牟田線に栄転しク60形電車になりました。大川線のキハ201は蒸気動車でした。筑前参宮鉄道のミヤ101〜103は当時としては珍しいボギーのディーゼルカーでしたが、妻面の形がこの廃車体と比べてもっとフラットでした。

明治時代のマッチ箱

写真5と6は所謂マッチ箱客車の廃車体、1971/5/2西鉄宮地岳線貝塚車庫にて。

多分博多湾鉄道汽船の客車だと思いますが、車体の標記が全く見えなくなっておりました。貝塚車庫に置いてあった廃車体の中ではもっとも古く、破損も酷くなっていました。

この頃の地方鉄道の車庫裏手には、必ずこのように廃車体が倉庫などになって残されていて趣味人を楽しませてくれました。貝塚車庫には普通の電車、路面電車、ガソリンカー、明治のマッチ箱客車とバラエティーに富んだ車体がダルマさんになっていました。

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