古い車輌の写真

熊本電鉄 2 モハ71

RP248 Web#=398 掲載2009/10/9

このモハ71型を新造した広浜鉄道の歴史は1909年に開業した大日本軌道広島支社まで遡ります。1909年の開業時は2フィート6インチゲージ(762o)で蒸気動力の軽便鉄道でした。1919年の事業が可部軌道に譲渡され、ついで1926年に電力会社である広島電気に合併されました。1928年から3フィート6インチゲージ(1067o)の改軌の上直流600Vで電化が進められました。1931年に鉄道事業は広浜(コウヒン)鉄道に譲渡されました。1936年に鉄道省に買収され可部(カベ)線となりました。

この熊本電鉄のモハ71型の前身は電化に備えて1928年に広島電気が日本車輌で新造した1 – 5(4は忌み番として後に8へ改番)の内3輌です。車体は全長11.8mの小型ボギー車で、集電装置はポール式でした。1936年に鉄道省に買収されたときに社型の形式を貰いモハ90001〜モハ90005となりました。しかし省線電車で全長12mの小型車、シングル・ポール式集電は前代未聞でした(甲武鉄道はダブル・ポール式)。

71

写真1はモハ71形71、1972/8/3熊本電鉄北熊本車庫にて。

写真1のモハ71形71の前身は広浜鉄道4→6に改番→元国鉄モハ90005です。広島に原爆が投下された時は幡生工機部に入場していて無事でした。戦後はあちこちからかき集められた社型電車とともに可部線で活躍しましたが、1954年に廃車となり、同年熊本電鉄に払い下げられてモハ71となりました。1981年に廃車されて現在は車籍を失ってはいますが、1996年にきれいなマルーン色に塗装されて、大切に庫内専用の入換用として使われている幸運な電車です。

72

写真2〜5はモハ71形72、1972/8/3熊本電鉄北熊本駅にて。

写真2〜4のモハ71形72の前身は広浜鉄道3→元国鉄モハ90003です。原爆が投下された時は横川駅構内にあった車庫の洗浄線で被爆しました。被爆した他の6台は損傷が酷くて1948年に廃車されていますが、モハ90003は戦後に小倉工機部で復旧されて可部線で活躍しましたが、1954年に廃車となり同年に熊本電鉄に払い下げられてモハ72となりました。

モハ72は1980年に廃車となりました。こちらの被爆してフェニックスのように蘇ったモハ72の方を保存した方が良かったかな・・・と思うのはサイト・オーナーだけでしょうか?

写真でご覧のように長さ11.8m、重量17.8tで前面は緩いカーブで、櫓に載せられた小型のパンタグラフを搭載して、地方で活躍する好ましいデザインの電車ではないでしょうか。就役当初はヘッドライトが路面電車のように腰板中央に取り付けられポール集電でした。

モハ71型は17.8tと小型軽量にもかかわらず97KWと強力で、貨物営業をしていた時代には国鉄から受け取った貨車を牽引していました。上半分クリーム色、下半分ローズピンクの短い電車がワとかワフとかを1輌牽いて田園地帯を走るのは、もう失われてしまったすばらしい鉄道情景です。

       前のページ 次のページ