古い車輌の写真

熊本電鉄 4 モハ201、モハ221

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RP250 Web#=400 掲載2009/10/11

写真1と2はモハ201形201、1972/8/3熊本電鉄北熊本車庫にて。

当初は目黒蒲田電鉄の大井町線開業用として、1927年川崎造船所でデハ200形201〜206の6輌が製造されました。深い屋根と独特の雨樋、リベットの多い重厚な車体、魚腹形台枠を特徴とする所謂川崎造船タイプの17m半鋼製電車です。

この電車は目黒蒲田電鉄、東京横浜電鉄、東京急行電鉄と複雑な歴史を経てモハ200形からデハ3150形デハ3153となり、1966年に東急の碑文谷工場で両運転台に改造の上熊本電鉄に譲渡されました。

この写真のモハ201は特徴のある川崎造船タイプの雨樋を失っています。

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写真3はモハ201形203、1972/8/3熊本電鉄北熊本車庫にて。

このモハ203は元東急のデハ3156で、モハ201と同じような経歴を辿って熊本電鉄に譲渡されました。1977年に電装解除されクハ203となりました。熊本電鉄御代志〜菊池間廃止の直前、1985年にモハ201とクハ203は揃って廃車されました。

長野電鉄 モハ604

写真4は典型的な川崎造船タイプの電車で、長野電鉄のモハ604です。この電車は深い屋根に原型の雨樋を残しています、妻面と扉の上に注目してください。

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写真5はクハ221形221、1972/8/3熊本電鉄北熊本車庫にて。

当初は東京横浜電鉄が開業に際して1925年に藤永田造船所で12両製造したデハ100形101〜112です。竣工直後に一部が目黒蒲田電鉄のデハ30形と交換で譲渡され、後に東京横浜電鉄に戻されています。モハ100形に改称され、ついで東急のデハ3100形となり、車体の延長工事を受けています。一部が昇圧のために電装解除されサハ3100形となりました。そのうちの1両サハ3103が東急の碑文谷工場で運転台を取り付けた上で熊本電鉄に譲渡されました。1977年に廃車となっています。

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