RJ105 Web#=402 掲載2009/10/13ここで取り上げる国鉄230形蒸気機関車は、大阪で創業した汽車製造会社によって1903年から1909年にかけて38輌が製造されました。設計は当時の万能蒸気機関車である官設鉄道のA-8形1-B-1ラジアル・タンク機関車をそのまま忠実にスケッチしています。無論優れた鋼材や精度を要求されるシリンダーなどはイギリスから輸入されたものと思われます。製造輌数も1903年に6輌、1904〜1906は毎年4輌と低調で7年かけて38輌が納入されました。銘板の年次と記録が異なる場合があるのは、納入後の手直しがあったせいでしょうか? 当時汽車会社で製造を担当した人たちの努力は大変なものだったと思います。そのせいか汽車製のA-8形は大変評判が良く、官設鉄道だけではなくて多くの私鉄にも採用されました。大きさも37.0tと手頃で地方鉄道や工場の専用線などで長く賞用されていました。
鷹取工場の233
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写真1と2は230形233、1964/9/4国鉄鷹取工場にて。 この写真を撮影したのは233の最後の職場、高砂工場での入換作業が御役御免となり、鷹取工場で廃車として留置されていた頃です。竣工当初は日本国で苦心の末に製造された最新鋭ハイテク工業製品だったのですが、60年後に鷹取に辿り着いたときには自動連結器や追加された空気ブレーキ機器などが山盛りでした。
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このように満身創痍の蒸気機関車が放っている魅力の源泉は何でしょうか? 普通の人が見ればくず鉄の塊なんでしょうが。 後ろに見えるのは阪和からの買収電気機関車ED38の4号機です。
交通科学館で保存
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写真3と4は230形233、1970/3/17交通科学館にて。 もう解体されるものと思っていたのですが、新しくオープンした弁天町の交通科学館に竣工当時の姿に復元されて展示されることになりました。野天で展示されていたので、真鍮の金色の輝きは失われていましたが漆黒の塗装はまだ艶が残っておりました。
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キャブの入り口にはアクリル板がはめ込まれており、誰も運転台に入れないように保護されていました。バッファーとリンク式連結器、真空ブレーキのホース、化粧煙突のキャップ、金色のライニング、真鍮色の磨きだしスチーム・ドームと道具建ては全て揃っています。
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