古い車輌の写真

交流電気機関車 EF70

田村駅留置線遠望

RJ107 Web#=408 掲載2009/10/21
写真1は多数のEF70形が待機している国鉄北陸本線田村駅の遠望。今では北陸本線の米原〜敦賀間は直流電化ですが、1957年に田村〜敦賀間が交流で電化されました。敦賀駅と米原駅の間は電化されていなかったためにD50やE10、DD50などの多彩な機関車が接続に活躍していました。米原駅と田村駅の間は1962年になってから直流で電化され、田村駅には交流と直流を切り替えらデッドセクションと交流電気機関車が待機する留置線が設けられました。

EF70 16

写真2はEF70形EF70 16、1975/3/29国鉄北陸本線田村駅にて。

EF70は1961年から1965年にかけて81輌が、日立製作所と三菱電機・三菱重工業で作られました。この写真のEF70 16は21号機までの初期型に属する機関車で、ヘッドライトが1灯となっていました。初期型は出力2250kw、重量96.0tでした。

EF70 35

写真3はEF70形EF70 35、1966/8/7国鉄北陸本線糸魚川駅にて。

EF70 22から車体のデザインが変更され、ヘッドライトがシールドビーム2灯となり、出力が2300kwと少し増強されています。

EF70 52

写真4はEF70形EF70 52、1975/3/29国鉄北陸本線田村駅にて。

北陸本線は長い急勾配と長大なトンネルがありましたが、重要な幹線で1100tの貨物列車を牽引する能力が要求されていました。国鉄では交流電気機関車はED型が標準だったのですが、この区間だけ単機でも牽引する余裕を作るためにEF型が導入されました。

EF70 60

写真5はEF70形EF70 60、1975/3/29国鉄北陸本線田村駅にて。

1968年から交流50ヘルツと60ヘルツ、直流の3種類の電化方式を通しで運用できるEF81形が開発されました。交流区間しか運用できないEF70形はだんだんと使われなくなりました。活用方法を模索して九州に転属したEF70も過大な出力と重い軸重が災いして厄介者となってしまい、1987年までに全機廃車となり4輌が保存されています。

ED30 1

写真6はED30形ED30 1、米原駅ヤードを列車の中から。

米原〜田村間の接続にはいろいろな機関車が使われましたが、このED30形は1両だけ作られた珍しい交直両用電気機関車です。EF55形電気機関車の主要な機器を流用して1962年に1輌だけ作られました。出力は960kw、重量64tのコンパクトな機関車でした。長いボンネットの凸型車体、前後に飛び出した巨大な庇と複雑な交流用高圧機器、下枠交差型のPS20形パンタグラフ、ローズピンク色の車体と模型ファンには魅力満点の電気機関車でしたが、1976年に14年の使用で廃車となってしまいました。このような短区間の交直接続は米原ヤードで入換に使われているDE10形の間合い運用で十分という、ガッカリさせる理由からです。
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