古い車輌の写真

黒部渓谷鉄道 1 ジェフリー

EB7

RP256 Web#=413、掲載2009/11/17

写真1〜6はEB形EB7、1973/6/2黒部峡谷鉄道本線欅平(ケヤキダイラ)駅にて。

黒部峡谷で電源開発を始めたのは1919年に設立された東洋アルミナム株式会社で、その事業は1922年に日本電力株式会社に引き継がれました。1923年に黒部川水系の水力発電所建設用の資材運搬用専用鉄道として着工され、難工事のためか1937年までかかって富山地方鉄道宇奈月駅から欅平までの20.1kmが開通しました。

黒部峡谷の崖っぷちに建設するために2フィート6インチゲージ(762o軌間)という軽便鉄道規格を採用し、建築限界や車輌限界も通常の軽便鉄道よりも小さくなっています。急勾配とトンネルが多かったために当初よりDC600Vで電化されています。この専用鉄道は1931年に日本発送電株式会社へ移管され、戦後の電力再編に伴い1951年に関西電力株式会社に引き継がれました。

資材運搬用として建設されたために地元の人たちには無料で便乗を認めていましたが、観光客が増えたために1929年から便乗料金を徴収して一般乗客も乗れるようになりました。当時の便乘證には「便乘ノ安全ニ付テハ一切保證致シマセン」と書かれていました。1953年に関西電力株式会社が地方鉄道業法の認可を得て黒部鉄道として営業を始めました。1971年に関西電力の子会社として黒部峡谷鉄道株式会社が設立され、地方鉄道事業の譲渡を受けて現在に至っております。

現在では観光客に大人気で北陸で最も乗客の多い私鉄となり、強力な電気機関車が重連で長い観光列車を牽いています。

写真のEB7は1925年に作られた6輌のL型電気機関車EB1〜3、5〜7の一員です。製造はアメリカのオハイオ州コロンバスにあるジェフリー社、重量は10.5t、定格速度は12Km/h。当初はトロリーポール集電でしたが、後に写真のような立派なZ形パンタグラフに交換され、ボンネットの上に大きなカバーが取り付けられました。

このタイプの電気機関車は末期には入換用として欅平駅に常駐していました。

ジェフリー社はマイニングロコを数多く手掛けた会社で日本でも山奥の高山や工事現場で人知れず働いていたようです。日立鉱山で使われていた13tL型電気機関車が日立市内の日鉱記念館で展示されています。

軽便鉄道で使われていた例としては、避暑地浅間高原の草軽電鉄で使われていた1-B-1のL形電気機関車が有名で、旧軽井沢駅舎記念館に保存展示されています。

ジェフリーの小型電気機関車は1984年に廃車となるまで活躍しました。その内のEB5は登場当初の姿に復元の上、宇奈月駅前の黒部川電気記念館で上屋に覆われて保存展示されています。

写真で見られるように庇の下に片寄って取り付けられたヘッドライトがモデルマニアにとってチャームポイントです。車体は鉱山鉄道並みに小さいですね。
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