古い車輌の写真

国鉄可部線の17m国電 1 クモハ12

クモハ12011

RJ114 Web#=427 掲載2009/12/8

写真1〜3はクモハ12形クモハ12011、1971/5/1国鉄可部本線横河電車区にて。

木造車で運行されていた山手線や中央線の改善のために、1929年〜1931年に104輌製造された17m級半鋼製電車の内の1両で、川崎車両で1929年にモハ31006として竣工。

1950年更新修繕とともに両方に運転台が設置されモハ34032となりました。既設の前位側運転台は非貫通型のままでしたが、新設された後位側の運転台は貫通扉を残したまま全室運転台が設置されました。
1953年に施行された車両形式称号規程改正モハ12011。
1959年にあった車両形式称号規程改正クモハ12011。
このグループは1970年代に廃車となりました。

両運転台で増結などに便利であったために地方線区で長らく使われていました。長さが17mと小型であり、電車区などの入換用や職員通勤用として使われていた例もあります。

このクモハ12011の非貫通型運転台は、雨樋が直線のままなので国電といういメージからやや離れた印象を与えていました。運転台窓の下は警戒色の黄色です。

クモハ12032

写真4はクモハ12形クモハ12032、1971/5/1国鉄可部本線横河電車区にて。

この電車は1924〜1926年に関東大震災後の輸送力増強の為に、主として京浜線用として123輌作られた木造電車デハ63100形の中のデハ63153です。
1928年に施行された車両形式称号規程改正でモハ10053。
1940年に大井工場で半鋼製の車体と台枠が作られ、モハ10053の機器や台車などを利用してモハ50099。この時点で台枠と車体が廃棄されているので、車籍を継承しているとは言い難いのではないでしょうか。
1953年車両形式称号規程改正でモハ11481に改番。
1958年幡生工場で両運転台に改造されていたモハ11481がモハ12形12032と改番。
1959年形式称号規程改正によりモハ12形はクモハ12形クモハ12032。

クモハ12055

写真5と6はクモハ12形クモハ12055、1971/5/1国鉄可部本線横河電車区にて。

写真1のクモハ12011と同じように、1931年田中車両で作られたモハ31092として竣工しました。
1953年車両形式称号規程改正モハ11形モハ11260に改番。
1959年鶴見線の単行運転用としてクモハ12形クモハ12055に改造。

クモハ12形は古くて収容力の小さい17m車体であったことから、地方への転出が多く仙石線、南武線、青梅線、大糸線、富山港線、福塩線、可部線、宇部線、小野田線などで永く使用されたましが、1970年代前半にはほぼ全てが廃車となりました。

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