古い車輌の写真

国鉄可部線の17m国電 2 クモハ11

クモハ11123

RJ115 Web#=428 掲載2009/12/9

写真1はクモハ11形クモハ11123、1971/5/1国鉄可部本線横川電車区にて。

東京近郊区間では車体を大型化したデハ63100系木造電車が量産されていましたが、安全性向上のために半鋼製車のデハ73200系が生産されるようになりました。
この電車はデハ73200形デハ73274として1926年に汽車製造東京支店で作られました。
1928年に車両称号規定改正モハ30075と改番。
1953年に車両称号規定改正モハ11017と改番。
その後幡生工場で更新修繕モハ11123。
1959年に車両称号規定改正クモハ11123。

横川電車区のそばにある鉄橋。丁度クモハ12を先頭とする4輌連結の電車がやってきました。写真を拡大すると先頭はクモハ12021?、次はクモハ11、次いでクハ16、最後尾はクモハ12です。4輌なのに運転台が6箇所、パンタグラフが3台もあるという豪華版列車編成です。

元広浜鉄道

写真3は熊本電鉄のモハ71形71、写真4は72、1972/8/3熊本電鉄北熊本車庫にて。

可部線の話題になると、その前身広浜鉄道と被爆に触れなければなりません。大日本軌道広島支社として開業し可部軌道へ事業譲渡、電化に伴い広島電気を経て広浜鉄道になりました。1936年に鉄道省に買収され可部線となりました。

広浜鉄道の短くて可愛い電車は下記のような鉄道省の番号を貰い省線電車の一員となりました。
モハ1〜3、4(買収前に8へ改番)、5、8(4より改番)はモハ90001〜90005。
モハニ102、102はモハニ92001と92002となり、鉄道省でモハ90006と90007に改造。
モハ6、7はモハ91001と91002。

1945年8月6日午前8時15分に原子爆弾が広島市中心部に投下され、可部線の電車も壊滅的な被害を受け、元広浜鉄道の電車はほとんどが廃車となりました。無事だったのは、たまたま幡生工機部に入場していたモハ90001と90005だけでした。モハ90003は横川の洗浄線で中破しましたが、戦後小倉工機部で復旧されました。

熊本電鉄に関してはこちらをご覧ください。

1953年に3両とも廃車となり、1954年に熊本電鉄に払い下げられモハ71形モハ71〜73となりました。73は1979年に、被爆電車の72(写真4)は1980年に廃車となり解体されました。71(写真3)は1981年に廃車となりましたが、車庫内の移動機械としてまだ活躍中です。

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