キハ310
RP274 Web#=438 掲載2010/1/21写真1と2はキハ310形キハ311、1974/5/19水島臨海鉄道水島車庫にて。 この車はエンジンの開発と戦争による燃料統制に振り回されて複雑な経歴を辿っていました。 GMF13型エンジンを搭載したガソリンカーとして1933年から1936年にかけて36輌作られたキハ36900形の一員です。就役後まもなくキハ41000形に改番されました。改番後も増備が続き、合計で140輌が作られました。戦争中は燃料統制のために使用停止でした。 1950〜1952年に73輌がGMF13と同じサイズのディーゼルエンジンDMF13に載せかえられてキハ41300形になりました。 1957年の車両称号規定改正によりキハ04形となりました。

1958年に倉敷市交通局に2輌が譲渡されキハ0411がキハ311、キハ0432がキハ312となりました。 1974年に廃車となりました。 片上鉄道のディーゼルカーと同じように、ヘッドライトがシールドビーム2灯となって腰板に取り付けられていました。屋根の上にヘッドライトが無いのはデザイン的に寂しいものです。
キハ305

写真3と4はキハ305形キハ305、1974/5/19水島臨海鉄道倉敷市駅側線にて。 このキハ305は当初中国鉄道(現在のJR津山線、吉備線)が1934年加藤車輌で製造したガソリンカーのキハ181です。 1944年に戦時買収となり鉄道省籍を得ましたが、戦争の混乱で正式な形式称号を貰えずキハニ181のままで、燃料統制のために使えませんでした。 1951年に倉敷市交通局に譲渡されキハ305形キハ305として就役しました。 1952年に120PSのDMF13型ディーゼルエンジンの載せかえられてディーゼルカーとなりました。 1973年に廃車となりました。

中国鉄道は17輌もの多くの大型ガソリンカーを持っていました。これは1931年に日本車両で開発された江若鉄道のC4形ガソリンカーの影響を大きく受けています。中国鉄道のガソリンカーはエンジンが出力100PSのアメリカ製ウォーケシャ6RBに、変速機や逆転機等も同じものに統一されていました。 この車も晩年にはヘッドライトがシールドビーム2灯となって腰板に取り付けられていました。珍しく貨物デッキが残されていてローカル線用をアピールしていました。貨物デッキ側のシールドビーム2灯となったヘッドライトが、デッキ柵に取り付けられているのに注目してください。
クハ16418

写真5と6はクハ16形クハ16418、1974/5/19水島臨海鉄道倉敷市駅側線にて。 最初は木造車サハ33750形の33815として関東地区に就役。 1928年の改番でサハ25125。 1941年に大井工場で鋼体化改造クハ65形クハ65024。 1953年の車両称号規定改正に伴いクハ16形クハ16418。 1972年に水島臨海鉄道に払い下げられましたが未入籍のまま解体。

この写真を拡大すると所属が広ウヘとなっていて、宇部線で活躍していたことがわかります。 クハ16形は17mクラスの短い車体でしたが軽量化の配慮など無い時代の設計で、重量は30t近くもあるヘビー級でした。それを軽量非力な1軸駆動のディーゼルカーが主力の鉄道で使用するのは無理があったのでしょう。
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