古い車輌の写真

近鉄南大阪線 1 モ6601

RP276 Web#=440 掲載2010/1/23

近畿日本鉄道南大阪線の前身は1898年開業の蒸気機関車を動力とした河陽鉄道(翌年に河南鉄道)で、1919年に大阪市に乗り入れを計画して大阪鉄道(2代目で通称大鉄)と社名を変更しました。1923年に大阪市阿倍野区の大阪天王寺駅へ1500V(この電圧での電化は日本で初めて)の複線電化で乗り入れました。1929年には久米寺駅(現在の橿原神宮前駅)まで開通して吉野鉄道(現在の近鉄吉野線)に乗り入れを行いました。

しかし路線延長と20m級大型電車デニ500形の60輌にも上る大量増備が過大投資となって経営を圧迫し、1929年には大阪電気軌道(通称大軌)に吸収合併されました。1943年に関西急行鉄道(通称関急)に合併、1944年に関急は南海鉄道と合併し近畿日本鉄道(近鉄)が発足しました。戦後1947年に旧南海鉄道の路線を南海電気鉄道として分離しました。したがって近鉄には南大阪線と付随する支線の柏原線、長野線、御所(ゴセ)線が残っています。

モ6621

写真1はモ6601形モ6621、1971/10/3近鉄南大阪線古市駅にて。このモ6621はウインドウ・シルが帯板状に改造されています。

近鉄のモ6601形は大阪鉄道のデニ500形が前身です。1928年から1930年にかけてデニ501形35輌、荷物室付きのデホニ551形7輌、郵便室付きのデホユ561形、制御車のフイ601形15輌の合計60両が作られました。

モ6622

写真2はモ6601形モ6621、1971/10/3近鉄南大阪線古市検車区にて。

デニ501形の「ニ」はイロハニの4番目という意味でした。日本で最初に作られた鋼製20mクラスの電車だったので、重い主台枠の上にリベットで組みつけられた重厚で重い2扉両運転台の車体を持っていました。就役当社は片方が非貫通でした。

しかし狭い幕板と幅の広い腰板に圧迫されたような感がする高い位置の小さな窓がたくさん続き、とても垢抜けたデザインとは言い難いものがありました。正面には大きなアンチクライマ−が取り付けられており頑丈で無骨な印象を与えていました。

モ6628

写真3はモ6601形モ6628、1971/10/3近鉄南大阪線古市検車区にて。

1943年関西急行鉄道(関急)に合併された際にデニ501形はモ6601形、フイ601形はク6671形、デホニ551形はモニ6651形、デホユ661形はモユ6661形に改番されました。

モ6629

写真4はモ6601形モ6629、1971/10/3近鉄南大阪線古市検車区にて。

1951年に混雑緩和のために3扉化工事が行われました。1975年までに廃車となっております。

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