古い車輌の写真

近鉄南大阪線 3

モ5202

RP278 Web#=442 掲載2010/1/26

写真1はモ5201形モ5202、1972年近鉄道明寺線道明寺駅にて。

吉野鉄道は大阪鉄道を経由して大阪阿部野橋へ乗り入れるために1929年に川崎車輌兵庫工場でモハ201形201〜206の6輌とサハ301形301〜314の14輌を製造しました。吉野鉄道は1929年に破綻して大阪電気軌道に吸収合併され、モハ201形は関西急行電鉄の名古屋線に貸与されました。1941年の改番でモ5201形モ5201〜5206となりました。

モ5211

写真2はモ5211形モ5211、1971/10/3近鉄南大阪線古市駅にて。

名古屋線から返却されたモ5201形モ5203とモ5206は制御車代用として運用されていましたが、モ6601形の予備部品を使って再度電装されモ5211形モ5211とモ5212となりました。

写真を撮った頃は、このように荷物電車として活躍中でした。

ク6512

写真3はク6501形ク6512、1971/10/3近鉄南大阪線古市車庫にて。

吉野鉄道が1929年に川崎車輌兵庫工場でモハ201形と同系の設計でサハ301形301〜314の14輌を製造しました。サハが多いのは電気機関車を使って客車的な運用も考えていたようです。吉野鉄道は1929年に破綻して大阪電気軌道に吸収合併され、サハ301形は関西急行電鉄の名古屋線に貸与されました。1941年の改番でク6501形ク6501〜6510と、ク5511形ク5511〜5514になりました。ク5511形は後にク6511形ク6511〜6514に改番、南大阪線に戻されました。その後1974年までに廃車となっております。

モ5612

写真4はモ5601形モ5612、1971/10/3近鉄南大阪線古市駅にて。

このモ5612の前身は大阪鉄道が1923年に電化に備えて川崎造船所で13輌新造した木造電車デイ1形デイ1〜13のデイ2にまで遡ります。大阪鉄道は日本の直流電化の標準となった1500Vを最初に採用しました。デイ1形の「イ」はイロハの1番目という意味でした。新造当初は所謂タマゴ形(妻面が半円で5枚窓)でしたが1932年に事故に遭い、鋼製車体で復旧されました。1943年に大鉄は関西急行電鉄に吸収合併されモ5601形モ5612となり、次いで1944年に近畿日本鉄道となりました。

モ5613

写真5はモ5601形モ5613、1971/10/3近鉄南大阪線古市駅にて。

モ5613の前身は大鉄のデイ1形デイ12です。1939年に事故に遭い鋼製車体で復旧され、モ5601形モ5613となりました。撮影したときは古市駅の側線で、荷物の表示をつけて留置されていました。共に1972年い廃車となっております。

ク5658

写真6はク5651形ク5658、1971/10/3近鉄南大阪線古市駅にて。

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