古い車輌の写真

近鉄南大阪線 6 EL

デ63

RP281 Web#=445 掲載2010/1/30

写真1はデ61形デ63、1971/10/3近鉄南大阪線古市検車区にて。

これは大阪鉄道が1927〜1928年に三菱造船で4輌製造したデキA形1001〜1004の一員です。近畿日本鉄道になったときにデ61形デ61〜64となりました。長く南大阪線や吉野線で貨物列車の牽引に使われてきましたが、1971年以降養老線や伊賀線に転属していました。このデ63は1973年に伊賀線に転用され貨物列車の運用に就いていました。1975年に南大阪線に戻され工事列車を牽いていましたが、1984年に廃車となりました。

全長10.2m、重量35t、出力388kwのB-B凸型電気機関車でした。当初はイコライザ台車でしたが、1947年にDT-13のような台車に交換されています。

デ65

写真2と3はデ61形デ63、1971/10/3近鉄南大阪線古市検車区にて。

元々は南海鉄道が1923年に藤永田造船所で製造したED5116でした。1944年に関西急行鉄道と南海鉄道が合併して近畿日本鉄道となった後に、南大阪線に転属。1947年に前の南海鉄道の路線が近畿日本鉄道から南海電気鉄道へ分離譲渡される際にこの電気機関車だけは南大阪線に残されました。

この電気機関車はずっと古市工場で入換に使われていて本線に出ることは無かったようです。1975年に車籍を失い工場内の機械扱となりましたが、古市工場の機能が五位堂に移されたときに解体されました。

車体は藤永田造船所で製造にも拘らず木南車輌で作られていた南海型の電気機関車によく似ておりました。以前はデ71と称していましたが、写真を撮影したときは車体に65という標記が記されていました。

デ81

写真4はデ81形デ81、1969/11/9近鉄大阪線高安検車区にて。

吉野鉄道が1924〜1925年にスイスのブラウン・ボベリー社から3輌輸入したデ1型1〜3で、大阪電気軌道と合併してデ1型3〜5に改番され南大阪線と吉野線で貨物列車の牽引に使用されていました。1959年に広軌化されて大阪線に転属しデ81型81〜83に改番されました。その後さらにデ35型35〜37に改番され、主として工事用列車を牽引していましたが1976年までに3輌とも廃車になりました。

就役当初は凸型車体のボンネットが左右に分かれていて、正面中央に出入り口のある独特のデザインでした。しかし後年デ61形と同じような車体に改造されて、スイス製の特徴を失いました。車体の下、台枠側面にある黄色い太い配管のようなものは細長いエアタンクです。またスイスの登山電車に見られるようなプレートフレームの台車にも注目してください。

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