古い車輌の写真

学生時代の合宿 1

C62 38の牽く急行十和田

RJ117 Web#=452 掲載2010/2/12

写真1〜3はC62 38の牽く急行十和田、1968/8/3国鉄常磐線亘理駅にて。

当時私が所属していた関西学院大学鉄道研究会の夏季合宿で、先輩達と一緒に東北地方へ撮影旅行に出掛けました。夜明けなんですが、まだヘッドライトが点灯したままです。

東京からは常磐線経由の夜行急行「十和田」を使いました。山陽新幹線は工事中、東海道新幹線開業が1964年でした。学生の身分なので寝台車ハネは遠慮し、全員座席車のハザで一晩を過ごしました。

上野を発車したときはローズピンクの交直両用電気機関車EF80に牽引されていたのですが、途中でC62形蒸気機関車に付け替えられていました。

写真でご覧のように蒸気機関車の手前に見える給水スポートからテンダーにたっぷり水を入れた直後です。朝もやの中でキャブ天井で鈍く光る白熱灯が印象的でした。

当時はまだ鉄道ファンが珍しく、撮影に何かと便宜を図っていただくことができました。この写真も対向列車を待つ間に線路に下りて写真を撮らせて貰いました。

蒸気機関車の次のページは荷物車ではなくて寝台車でした、多分オハネ17辺りでしょう。

途中の小さな駅で貨物列車が入換作業をしているのに出遭いました。当時は地方の駅でもこのように長大な貨物列車が運行されていました。入換用蒸気機関車や貨車移動機が配置されていない地方の駅では、このように貨物列車を牽引してきた蒸気機関車(D51でしょうか)が入換作業もやっていました。

途中の駅でC62 47の牽引する普通列車と交換しました。朝のラッシュがもうすぐ始まる時間帯で、次から次ぎへとやって来るC62、C61、C60などのハドソンたちが牽引する通勤列車と交換していきました。

C62 38

合宿の最初の目的地仙台到着です。牽引してきたC62 38は列車から開放されて長町機関区に入って行くところです。

このC62 38は1945年に汽車製造で作られたD52 374のボイラーを流用して、1948年に同じ汽車製造で作られました。

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