古い車輌の写真

頚城鉄道 5 ディーゼルカー、2軸客車

ホジ3

RP292 Web#=476 掲載2010/3/14

写真1と2は頚城鉄道ホジ1形ホジ3、1966/8/7新黒井駅にて。

ホジ3は1914年の頚城鉄道開業時に日本車輌で作られた客車ホトク1を、1932年にガソリンカーに改造したものです。定員42名、長さ9.7m、重量8tで、車体構造は客車時代のままの木造でした。1951年にディーゼル・エンジンに換装されています。3という番号は、この前にジ1とジ2という単端式の2軸ガソリンカーが在籍していて連番としたためです。このかわいいジ1に出遭えなかった(1961年廃車)のは残念でした。

全線廃止の少し前に踏切でダンプカーに当てられ正面を大破しましたが、原型どおり復旧されています。ホジ3は頚城鉄道が廃止になるまで、ずっと活躍を続けました。前ページのDC92と同じように、個人によって保存されていましたが今は、百間町車庫跡に開設された「頸城鉄道展示資料館」に寄付されています。

ホジ3と同じように1938年に客車ホハ3を改造した木造ガソリンカー ホジ4が在籍していましたが、ディーゼルカーに改造されることも無く客車に戻されホハ5と改番されました。

ホジ3の車内

ホジ3の車内です。中央で大きな顔をしてでんと座っているのは床下に収まらなかったエンジンのカバーです。軽便鉄道サイズの狭い車内にも、ちゃんと一人前に吊り輪が2列設けられています。運転台との仕切りはご覧のように背の低い木造のパーティションでした。

改造前の特別客車ホトク1は、車体のデザインは他の客車ホハ1〜5と同じでした。しかしデッキから車内入ると中は畳敷きで入り口には傘立てと下駄箱が用意されていたそうです。春、菜の花畑や桜吹雪の中を窓を開けて・・・絣の座布団に座り、和机にもたれかかりながらコトコトと走って行きたいものです。始発駅の売店で買ったおはぎ(近在の農家の奥さんが作ったのでしょうか)がお供です。山の端の終着駅には松林に囲まれた茅葺の湯治場でもあるのでしょうか?

ハ5

写真4は頚城鉄道ハ5、1966/8/7百間町車庫にて。

このハ5の前身は青梅鉄道(現JR青梅線)が軽便鉄道として開業するとき(1894年)に新潟鉄工所で新造した客車です。青梅鉄道が改軌したとき(1908年)に魚沼鉄道に譲渡されハ2となりました。さらに1922年鉄道省が魚沼鉄道買収して魚沼軽便線のケハ371となり、1954年に3フィート6インチゲージ(1067o)に改軌され国鉄魚沼線となりました。ハ5とハ6は1949年に魚沼線から頚城鉄道にやって来ました。このハ5は後に新潟鉄工所(現新潟トランシス)で復元工事が行われ、新潟県立自然科学館に保存展示されています。

ハ6

写真4は頚城鉄道ハ6、1966/8/7百間町車庫にて。

ハ6はハ5と同じような経歴ですが、魚沼鉄道時代には2・3等合造客車ロハ1でしたが後にハ5に改造され、買収でケハ310となっています。どちらも定員20名、長さ5.8m、重量3.2tという明治時代の面影を残した小さな客車でした。

このハ6もホジ3と同じような経緯で百間町車庫跡に開設された「頸城鉄道展示資料館」に保存されています。

ニフ1

写真6は頚城鉄道ニフ1形ニフ1、1966/8/7新黒井駅ヤードにて。

ニフ1の前身は青梅鉄道が開業に際して東京平岡工場で1894年に新造した客車の一部であると言う説があります。青梅鉄道の改軌に伴い魚沼鉄道に譲渡されました。ハ5と同じように魚沼線から頚城鉄道にやって来ました。元は客車ハ4で定員20名、長さ4.5m、重量2.2tとハ5と比べても一回り小さな客車でした。1954年に腰羽目板が鉄板張りになり、さらに1958年に荷物専用車に改造されニフ1となりました。このニフ1も六甲山で保存されていたのですが、車体が破損してしまって原型を留めておりません。

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