古い車輌の写真

大阪市電 4 2201、2601、3001

2204

RP299 Web#=483 掲載2010/3/24

写真1は2201形2204、1969/3/27大阪市電都島車庫にて。

2201形は1954年2201〜2211の11両が日立製作所、富士車輌、帝国車両で製造されました。車体のデザインは1953年に作られた3000形3000と同型で、新しい大阪市電形の最初の量産車でした。2201形は全てワンマンカーに改造され青色の帯が巻かれていました。廃車は1969年です。

2605

写真2は2601形2605、1969/3/27大阪市電港車庫にて。

2601形は木造車1001形の機器を流用して3001形と同じ車体に載せかえるという更新車でした。この工事は大阪車両工業により1955年〜1961年にかけて2601〜2714の114両に対して実施されました。

2628

写真3は2601形2628、1969/3/27大阪市電港車庫にて。

後に2626〜2639の14両が2201形11輌全車と共にワンマンカーに改造され、都島車庫と港車庫に配属されましたが1968年に廃車となりました。当初はもっと大量のワンマンカーが改造によって登場するはずでしたが、市電の全面廃止という方針がはっきりしてからは改造は行われなくなりました。

2632

写真4は2601形2632、1969/3/27大阪市電都島車庫にて。

1001形から2601形への更新工事は3001形の新造コストのおよそ半額で、新車と同じ快適な電車が市民に喜ばれていました。従来型の電装品およびブレーキ機器を残しており、ベテラン乗務員からも歓迎されていました。

3004

写真5は3001形3004、1969/3/27大阪市電都島車庫にて。

3001形は3000形3000の改良版として1956年に3001〜3050の50輌が製造されました。アメリカで普及していた近代型路面電車PCCカーの日本版として華やかにデビューしました。スマートな車体前面のデザインは、以後の大阪市電全車に採用され、近くの南海電鉄大阪軌道線、和歌山軌道線、和歌山電気軌道の新造車に大きな影響を与えていました。

3008

写真6は3001形3008、1969/3/27大阪市電都島車庫にて。

自動車に負けないぐらいの高加速高減速で振動や騒音の少ない優秀な電車でした。電気ブレーキと空気ブレーキを採用し、台車には非常ブレーキとして電磁吸着式のトラックブレーキが装備されていました。登場が遅かったので自動車の増加のために、その高性能を活かしきれなかったようです。

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