古い車輌の写真

静岡鉄道 駿遠線 3 DB601、DB602

RP325 Web#=515 掲載2010/10/18

太平洋戦争直後の静岡鉄道駿遠線は都会から沿線の農村や漁村へ食料の買出しに来る乗客で超満員の状況が続きました。この頃は蒸気機関車の燃料である石炭の価格が高騰していたので、これを解決するために在籍していた老朽蒸気機関車の一部を使ってディーゼル機関車を社内の工場で作り始めました。と言っても製造ノウハウもなく担当者は大変だったことでしょう。会社から支給されたのはトラック用のエンジンと変速機だけで、後は現場の創意工夫と現物合わせで奮闘したようです。陸運局に届出る形式図などは出来上がった機関車をスケッチしてお茶を濁していたようです。逆転機が支給されなかったので、蒸気機関車時代のターンテーブルで向きを変えていました。車体のデザイン、重量、出力など機関車毎に異なり、また大掛かりな改造や修理が自社工場で重ねられていました。13輌の蒸気機関車が在籍していましたが、ディーゼル機関車に改造されたのは8輌でした。このほかに森製作所が赤穂鉄道向けに蒸気機関車から改造したC型ディーゼル機関車を1輌購入しています。

現場では前進しかできないので「イノシシ機関車」、鉄道ファンには厳めしい外観から「蒙古の戦車」と言うニックネームを奉られていました。

DB601

写真1〜2はDB60形DB601、1967/8/23静岡鉄道駿遠線相良車庫にて。

DB601の前身は1922年コッペル製の6.4トンB形タンク機関車7号機で、藤相鉄道で新造されたときは9号機と名乗っていました。ディーゼル機関車に改造するためにホイールベースを1.2mから1.5mに延長し、エンジンとクラッチを車体前部に搭載してチェーンで後部にある変速機に動力を伝達するものでした。

全長は5.0m、自重7.0トン、金剛製DA60型エンジンの出力は110PSでした。蒸気機関車から引き継いだのは主台枠と動輪、サイドロッドぐらいでしょうか。戦後の材料や工作機械が無い時代に地方の軽便鉄道の車庫で、予算の制約に縛られながら新造に近い作業を行うのは大変だったことでしょう。

DB601は改造ディーゼル機関車の第1号機として、1951年静岡鉄道駿遠線の大手工場で竣工しました。キャブの前面が傾斜しているのは流線型を意識していたのでしょうか。

DB602

写真3〜5はDB60形DB602、1967/8/23静岡鉄道駿遠線相良車庫にて。

上記のDB601に続いて1924年コッペル製のB形タンク機関車12号機を改造してDB602が同じ大手工場で翌年の1952年に竣工しました。エンジンはDB601と同じ出力110PSの金剛製DA60型エンジンでしたが、後に三菱重工業製130PSのDB5L型に取り替えられています。

写真でご覧のように仕様は殆んど同じだったのですが、車体のデザインはかなり異なっています。

私が車庫を訪問したときには、DB601とDB602は休車となって留置線の端っこに停められていました。

ここではDB601からDB603までは改造の材料となった古い蒸気機関車の特定ができるようなのですが、他のディーゼル機関車ははっきりと前身を書いた資料が見付かりません。技術があった工場なのでたくさんの蒸気機関車から程度の良い部分を適当に組み合わせて作ったのでしょうか?

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