古い車輌の写真

静岡鉄道 駿遠線 13 貨車

トフ1

RP335 Web#=525 掲載2010/11/2

写真1はトフ1、1967/8/23静岡鉄道駿遠線相良車庫にて。最大長5.6m、自重2.0t、荷重2.0t、1931年製。

静岡鉄道駿遠線に在籍した貨車は殆んどが2軸ボギー車で、小柄な2軸貨車はこのトフ1だけでした。トフ1は社用品輸送専用貨車で相良にあった軽油貯蔵施設(危険物取扱場所)から、ドラム缶に入ったディーゼルエンジン用燃料を車両駐泊施設があった新三俣まで運ぶのに使用されていました。

ト14

写真2はト14、1967/8/23静岡鉄道駿遠線相良車庫にて。最大長5.6m、自重3.1t、荷重5.0t、1925年製。

私が写真を撮った頃はもう貨物営業廃止の後で、残されていた無蓋車やフラットカーは全て保線作業用で殆んど稼動していませんでした。

軽便鉄道が繁栄していたのはトラック輸送が無かった古い時代でした。藤相鉄道、中遠鉄道そして合併後の静岡鉄道駿遠線も貨物営業がとても盛んで、貨物営業用の貨車は全て大型のボギー車を揃えていました。

トフ9

写真3と4はトフ9、1967/8/23静岡鉄道駿遠線相良車庫にて。最大長5.9m、自重2.8t、荷重4.5t、1915年製。

静岡鉄道駿遠線でフという記号は車掌室付きではなくて、手動ブレーキ付きを表示していました。また貨車は全て508mmという小さな車輪径のアーチバー台車を履いていました。

静岡鉄道駿遠線の最盛期には55両(有蓋車29輌、無蓋車26輌)もの貨車が在籍して貨物営業に活躍していました。国鉄の駅では必ず人力による積替が必要だったので、大変なことだったのでしょう。

この静岡鉄道駿遠線が運んでいた貨物から、沿線で盛んだった産業の横顔を見ることが出来ます。豊かな穀倉地帯であった沿線からはお茶や椎茸、タバコの葉、サツマイモの切干しや澱粉、漬物等、秋には志太平野名産の梨が運び出されていました。

遠州神戸に藤相鉄道二代目社長が経営していた醤油醸造工場と輸出用製茶工場がありました。新岡崎からは遠州瓦が出荷されていました。

チ1

写真5はチ1、1967/8/23静岡鉄道駿遠線相良車庫にて。最大長5.0m、自重2.8t、荷重5.0t、1924年製。

上吉田は住吉漁港があり、養鰻業も盛んでした。当時水産物は四斗樽に詰めて輸送されていたようです。また漁網会社が近くにあり、原材料や製品が運ばれていました。相良には太平洋岸唯一の国産油田があり、良質の原油を産出していました。

チフ4

写真6はチフ4、1967/8/23静岡鉄道駿遠線相良車庫にて。最大長5.6m、自重3.5t、荷重6.0t、1924年製。

沿線には陸軍の遠江射撃場があり、砲弾等が到着していました。弾薬などは南大坂でさらに軍用トロッコに積換えられ軍事施設まで運ばれていました。

軽便鉄道のレイアウトは魅力のあるものですが、このような沿線の産業とか人の動きなどを想定する作業もまたなかなか楽しいものです。

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