古い車輌の写真

山陽電気軌道 1

東駅

RP336 Web#=526 掲載2010/11/3

写真1〜3は東駅(旧称東下関駅)にて1971/1/2。

山陽電気軌道の一部、東駅から幡生駅までは地方鉄道法が適用される専用軌道区間でした。下関駅周辺の大都会の併用軌道区間から、急に田舎の私鉄へ変化していました。路面電車用の低いプラットホーム、バラストの少ない薄い線路、古びた駅舎とホーム上屋、直接吊架式架線・・・懐かしい。

山陽電気軌道は1926年に最初の区間を開業し、次々と路線を延長していきました。1928年に長州鉄道の残存区間2.4kmを合併し、その後山陽電気軌道と接続する区間を建設しました。1942年から1949年の間だけ戦時体制に基づく交通統制のため長門鉄道を合併しましたが、1949年に再度長門鉄道へ鉄道事業を分離しました。1954年に最後の路線延長がありましたが、自動車の時代となり1971年に全線廃止となりました。会社はサンデン交通として今も盛業中です。

長州鉄道は山陽電気軌道よりも歴史が古く1914年に蒸気動力で開業しました。1925年に路線の殆んどが山陰本線と重なったために国有化され、1926年に残存区間の東下関と幡生の間2.4kmが電化されました。1928年に山陽電気軌道に事業が譲渡され、旧長州鉄道と山陽電気軌道を結ぶ区間が建設されました。

東洋レーヨン石山工場103

山陽電気軌道には下関市内の区間から離れた非電化の区間がありました。長門鉄道が1918年に開業した小月駅と西市駅間18.2kmで、1942年から1949年の間だけ戦時体制に基づく交通統制のため山陽電気軌道に事業が譲渡されました。1949年に山陽電気軌道から事業譲渡を受けて再度長門鉄道となりましたが1956年に鉄道事業廃止、1960年に社名を長鉄バスに改称、1975年に山陽電気軌道の後身サンデン交通に再度合併されました。写真4は長門鉄道か創業時に用意したポーター製18.3tのCタンク蒸気機関車101で、1947年に東洋レーヨン石山工場に譲渡されて103として1964年(昭和39年)まで使用されていました。詳しくはこのサイトを参照してください。

東車庫

写真5は東車庫にて1971/1/2。

車庫では702がこれから営業に出るために待機していました。訪問したのはお正月、屋根に日の丸の小旗を挿してフォーマル・ウェアを決めていました。左にある建屋の中には路面電車の敵、大型バスが失礼にもこちらに豊満なお尻を向けております。

東車庫の片隅で

写真6は東車庫にて1970/8/13。

1970年代はまだ地方私鉄の車庫の片隅に必ずこのような廃車体が残されていました。建設費無料で極めて丈夫な更衣室、組合事務所、危険物貯蔵所、倉庫などが短時間で建設可能です。

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