古い車輌の写真

山陽電鉄 3 700

716

RP345 Web#=535 掲載2010/11/21

写真1は700形716、1969/9/8山陽電鉄東二見車庫。

この写真をを撮った頃は多くの700形が使命を終えていました。この716の車歴は1947年川崎車輌で鉄道省モハ63816→1947年山陽電鉄に払下800形816→1949年に改番で716となり廃車は1968年です。

太平洋戦争直後の山陽電鉄は大変な状況でした。1945年6月と7月に明石工場が空襲を受けて多くの車輌が全焼、1945年に在籍していた旅客車94輌の内34輌、電動貨車10輌の内5輌が戦災を受けていました。その上1945年の枕崎台風と集中豪雨のために多数の車輌が浸水していました。西代の車庫の火災と明石工場の戦災で修理も困難でした。

714

写真2は700形714、1969/5/8山陽電鉄東二見車庫。

遠くから見ると一見稼働車のように見えていましたが、ご覧のようにヘッドライトが残念な状態で廃車でした。車歴は1947年川崎車輌で鉄道省モハ63814→1947年山陽電鉄に払下800形814→1949年に改番で714となり廃車は1968年です。

最悪の時期には山陽全線で数両しか稼働状態にないという状態にまで陥り、神戸市電から路面電車を借り入れて運行するという惨状でした。

701

写真3は700形701の廃車体、1969/9/8山陽電鉄東二見車庫。

車歴は1947年川崎車輌で鉄道省モハ63801→1947年山陽電鉄に払下800形801→1949年に改番で701となり1967年に2700形2709に改造されました。

当時の日本の重工業には、戦災のために電車を新造する能力が有りませんでした。そのために標準型として鉄道省モハ63形一種類だけを量産し、困っている私鉄に払い下げると言う政策が取られました。

715

写真4は700形715の廃車体、1969/5/8山陽電鉄西代車庫。

車歴は1947年川崎車輌で鉄道省モハ63815→1947年山陽電鉄に払下800形815→1949年に改番で715となり1964年に2700形2703に改造されました。

山陽電鉄にはモハ63800〜819の20両が割り当てられ、2輌一組(偶数車モハ+奇数車クハ代用)で運用されました。

写真5は700形715の廃車体、1970/2/14山陽電鉄西代車庫。

14mクラスの路面電車に近い小さな電車が架線電圧600V走っていた路線に、長さ20m2輌連結の1500Vで走る省線電車を導入しようというのだから受入側の準備は大変だったことでしょう。しかし苦労して大型電車を導入したので、その後の輸送力増強には大きくプラス効果がありました。このときの20m広軌ロクサン導入のおかげで後に神戸高速鉄道経由で阪急や阪神経由近鉄の相互乗り入れが容易に実現しました。

7??

写真5は700形の廃車体で番号不詳、1970/2/14山陽電鉄東二見車庫。薄い青みがかった灰色に塗装されていました。

車体はロクサンの特徴である切妻屋根半鋼製で、最大長は20.0m、4扉、自重偶数車は41.0t、奇数車は33.5tでした。台車はDT-13を広軌に改造したDT-13Sを履いていました。


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