古い車輌の写真

山陽電鉄 5 270、300、820、850

277

RP347 Web#=537 掲載2010/11/27

写真1は270形277、1970/2/15山陽電鉄人丸前駅。

山陽電鉄の前身神戸姫路電気鉄道は1923年に川崎造船所で木造シングルルーフ3扉で長さ14mの1形を1〜15の15輌製造しました。1927年に宇治川電気が神戸姫路電気鉄道と兵庫電気軌道を合併し兵庫から姫路までの直通運転を開始しました。その際に路面電車由来の兵庫電気軌道と高規格の神戸姫路電気鉄道の双方に乗入れることが出来る電車として、車齢4年の1〜15の車体を廃棄し、その主要機器を流用して51型が作られました。また同じ設計で新造車として51形51〜76、76形76〜85が作られました。

278

写真2は270形278、1970/2/15山陽電鉄人丸前駅。

戦災で生き残った51形と76形、および山陽電鉄明石工場で戦災の代替新造車3輌(2代目76形)は1949年に100形100〜123と1000形(戦災復旧車)1000〜1009に改番されました。1951年に西代車庫で火災があり、復旧に際して機器と車体に入替がありました。1951年から250形への車体更新工事が始まりました。写真の277と278は2000形2次車に準じた軽量構造の車体に更新され270形(250形の270番台)となり、1986年まで使われていました。

310

写真3は300形310、1970/2/15山陽電鉄人丸前駅。

200形の車体載せ換え更新車として270形と同じ仕様で300形300〜321と中間車330〜335の28輌が1962年〜1968年に川崎車輌で作られました。普通列車用として使われ1983年から1986年に掛けて廃車となりました。

山陽電鉄はこのように電装品の流用による車体新造とか、戦災復旧、火災復旧等の複雑な経歴を持った電車が多数活躍していました。また近くにある川崎車輌の試作的な車輌(アルミカー、ステンレスカー、チョッパ制御、新型台車)も受け入れて、日本の電車界への貢献は大きなものがあり、鉄道ファンにとっても興味深い電鉄でした。

822

写真4は820形822、1970/2/15山陽電鉄人丸前駅。

広軌ロクサンの導入で車輌不足を凌いだ山陽電鉄は、次に兵庫と姫路を結ぶ特急電車用として820形820〜831の12輌を1948年〜1949年に川崎車輌で製造しました。仕様は運輸省の私鉄向け規格型設計A型でしたが、第二次世界大戦後の私鉄で最初に製造された転換クロスシートを装備した特急車輌、所謂ロマンスカーでした。

1951年に起きた西代車庫火災で、820形826と827、850形854と855の2編成が焼失しましたが、最優先で復旧工事が川崎車輌で実施されて1952年までに運用に戻っています。

850

写真5は850形850、1969/5/8山陽電鉄西代車庫。

1950年に820形と同じ仕様で850形850〜855の6輌が1950年に川崎車輌で製造されました。これも特急用として転換クロスシートを装備して、戦後の混乱がやっと収まった当時としては新しくて乗り心地の良い電車でした。

851

写真5は850形851、1969/5/8山陽電鉄西代車庫。

820形と850形は山陽電鉄の看板として活躍していましたが、2000系や2700系の登場で普通列車用に格下げされることになり、1961年〜1963年にかけてロングシート化、先頭車に貫通扉設置、制御器の交換などで他形式と混結して普通列車に使われていました。廃車は1977年です。

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